考えてみると、まことに変わった運命だ。私が空間、太陽そして風をどれほど愛し、鳥あるいは茂み、雲あるいはさすらい人といった、これらのなかに生きているあらゆるものにどれほどなりたいと思っていたか、きみは知っている。ところがそういう私は、何年も何年も長いこと、地下の根の生活をした。見てくれは悪く黄色くなっており、暗闇と腐食物にとりかこまれてはいるが、地上にある生命の樹を支えている根の生活を。しっかり根を張った樹は、いかなる嵐にも倒れはしない。それは根の誇りであり、私の誇りでもある。私はこのことを後悔してはいない。何一つ後悔してはいない。私は力のあるかぎり、われわれの目的のためにつくした。しかも喜んで。しかし光、光を私は愛した。そして私は、できればすくすくと高いところまで成長し、花咲き、果実のように熟したかったのだ。 しかしこれでいい。
私が氏の名前を初めて見たのは、「若き死者たちの叫び」(J.ピレッリ著・教養文庫、絶版)という、ヨーロッパでナチスに抵抗したレジスタンスの獄中書簡や遺書を集めた本の中である。マッチ箱の落書き、処刑前の走り書きなども含められた本の中で、奥さんへの整然とした長文の手紙は目を引いた。「決死の秘匿」と上に書いたが、政治犯が獄中で書き物をすることはかたく禁じられていた時勢である。この本に収められた日記、檄文、書簡のほとんどは、看守や警官たちの助けによって、危ない橋を渡りながら外へ持ち出されたものだ。無論作者本人の、繰り返し拷問を受け、仲間の裏切りに遭いながらも、抵抗の姿勢を崩さず、残る仲間たちを救おうと尽力した姿は称賛に値する。
多くの人に読み継がれることを期待してだろうか、氏の著述の内容は、仲間を鼓舞し励ますものが大部分を占める。ナチスの支配と監視下に置かれる環境で、おそらくは悲観しあるいは絶望することもあっただろうと想像するが、それでもその筆致は暴力と理不尽な圧政への厳しい糾弾、未来への希望を貫いて衰えない。同じ牢の人々、彼を監視する人々、あるいは協力する人々を冷静に見つめ、時にはユーモアまで交えて描写する。牢の中で痛めつけられながら、人生を最後まで抵抗していった彼は、おそらくこの時代の中で有数の自由な人間ではなかっただろうか。
少し長くなるが、以下に「若き死者たちの叫び」にも収録された奥さんへの手紙を引用する(訳文は岩波版)。
国の礎、自由と未来を信じた人の声として、真摯に受け止めたい著作である。岩波らしく注釈もこれでもかとばかり豊富なので、時代背景を知らない人でも読めると思う。