はじまりの記憶





 古い記憶がある。幼い日、まだソラリスにいた頃の。
 父と母に手を引かれて、父の知人という人を訪ねた。
(―――が、亡くなって)
(小さいお嬢さんが)
 両親の会話はよく思い出せない。機械で覆われた建物の殺風景な一角。その部屋は喪の色に染まって暗く、静かに死を送るための準備が整えられていた。
 せわしなく出入りする人々も、奇妙に声を潜めていて、彼は少しだけ脅えていた。来客の中に、子供は彼だけのようだった。
 けれど人込みの向こう側、わずかに視線を泳がせた先に、彼より幼い少女が立っているのに気がついた。黒い服と黒いリボンに銀の巻き毛を沈ませて、ぽつりとひとりで、綺麗な翠の瞳をまっすぐに上げて。
 大人たちが時折かける声に、気丈に顔を上げて挨拶している。涙はその目にはない。
 けれど彼女は、彼が今までに会った誰よりも、悲しそうな顔をした子供だった。
 彼女の視線がこちらを向く。見つめられて彼はたじろいだが、それには意識を向けてくれずに。
 母とつながれた彼の手を見たときだけ、表情が泣きそうに動いた…。


 古い記憶がある。幼い日、母が棺に納められたときの。
 ソラリスの研究所の片隅、居住区に与えられた部屋に、見知らぬ人々が次々に訪れて来る。哀れみと多少の無関心の混じった視線。それが嫌で、自分は背を伸ばして立っていた。
 失われた命に感傷を抱くことが許される国ではない。今日が終わればまたいつもの日常が戻る。これまでも家事はほとんど機械の仕事だった。これからもきっとそうだ。変わらない。
 それでも唇をかみ締めてしまう。
 父親はこんな時でも時々席を外す。研究所に定時連絡に行くのだ。その時は誰が来ても一人で―――けれど遅れてやって来た客が子供の手を引いている、それを見るまで、自分がひとりだということにすら気がつかなくて。
 どこか青い色を纏ったその少年が自分に向いている。こちらに向けて足を動かそうとする前に、彼女はくるりと背を向けた。そのまま式が終わるまで、彼に視線を返すこと無く。
 そうしないと、自分がとても悲しいということを、彼の目が思い出させてしまうから。


 近づいてきた少年から、おそるおそる差し伸べられた手を、少女は振り払った。
 少年の家族がソラリスから消えたという話を聞かされたのは、その数日後のことだった。


 ―――もう、十年も前のこと。


(…まさか、こんなところで会うなんて)
 開かれたゼプツェンのハッチに、ビリーの視線は釘付けになった。
 バベルタワーからシェバトへと彼らを連れていった黒いギア。降り立った少女は、記憶よりずっと成長していたけれど、あの時と変わらず背筋を伸ばし、彼を突き刺すように翠の瞳で直視する。
 しかしその肩がとても華奢に見えたのは、影のようにそびえるゼプツェンの巨体のためばかりではない。
 バルタザールなる人物の話をひとしきりした後、続けて声をかけようとするフェイとバルトにくるりと背を向けて、少女はとりつくしまもなくギア格納庫へと消えた。マリアと言う名を初めて知り、でもそう呼ぶ隙すらビリーには与えられない。
 その負うものは天空の国すべて。はりつめた弦の様に少女は頑なで、その背の重みを跳ね返そうと視線を上げる。父親を思う言葉すら戦いの決意で。
 変わらない。
 シェバトの街へと足を向けながらも、ビリーの想いは少女へと馳せられる。
 強くあろうとする瞳。
 彼方に霞みかける記憶の中で、あの翠の光だけは鮮明だった。けれど思い返すたび、ビリーは少し不安だった。一瞬見せた泣きそうな顔が、その光とあまりにアンバランスで。
 きっと彼女はこちらを覚えていないだろう。閉ざされた格納庫の扉に、彼女の頑なな想いを感じながら、ビリーはそれでも、と思う。
 それでも、また手を差し伸べたい。
 母を亡くし、父を頼れなかった日々に、きっと自分はあの頃のマリアと同じ瞳をしていたから。―――そして、今も彼女は、同じ瞳をしているから。
 ほんの少し振り返って、支える手がそこにあると知ってほしい。
 今の自分のように。
 あの日は何もできなかったけれど、今の自分は手を差しのべることができる。
 そう思いながら、ビリーは一度だけ、格納庫の入り口を振り返った。美しく整った天空の国は、どこか空ろであるようにビリーの目に映った。


(…知ってる、人…?)
 格納庫に飛び込むと同時に扉を閉ざして、マリアは青い少年のことを思い返した。
 バベルタワーに上ってきた無謀な輩がいるとの報告に、ゼプツェンで急行したのはつい先ほどのこと。連れ戻った三体のギアから降り立ったのはいずれも少年だった。うち二人はマリアの祖父の知己だという。
 残る一人が、かすかな記憶にどこかでつながっている。そんな気がした。来訪者の中では一番華奢な、清潔な印象をした彼。そう言えば名前も聞かなかったと、今更のように思い出す。
 きっと知っている。心を見透かすように見つめてくる、あの眼差しを。どうしてか、素のままの自分を思い出させてしまう、綺麗な青。
 ―――素のままの…?
 頭を何度も振って、マリアはその眼差しを記憶から払い落とした。
 視線を上げると、そこにはゼプツェンが黒い巨体を鈍く光らせて立っている。威容を誇るその姿と、それを操る自分と。そう、それ以外にどんな自分がいる?
 静かで冷たいこの天空の都市でギアを駆る。そう誓った。父を取り戻すその日までは。
 けれど、きっと―――自分には、あの少年の目が見られない。
 整備員たちが彼女を呼んだ。一度強く目を閉じて、マリアは戦士の自分を取り戻す。ただ、歩き出した瞬間に、ほんの少しため息が漏れたことを、彼女は自覚していなかった。


 はじまりの記憶と同じ、向けられる視線と逸らされる視線と。
 けれど差し伸べられる手は引かない。この新しいはじまりからは。

―――End 99/01/29





…何か私、「意地っ張りのマリア対とにかく彼女に弱いビリー」という構図が好きみたいで…
今回その「前哨戦」モードですねえ。
実は幼なじみでした、とかいう可能性がなきにしもあらずということで。
…まとまってない…。



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