帰る日





 しんみりした酒は嫌いだと温子は言う。バカ息子の人間界追放記念と称した飲み会でも、彼女は最初から最後まで陽気だった。
「でもなー、やっぱ無理してっと思うんだよなー」
 飲み会の翌日。またしても部屋にビールとつまみを持ち込み、盛大に床の上に広げながら、桑原はしみじみと蔵馬に語った。
「それはそうだろうね。桑原くんでさえこれだけ落ち込んでるんだから」
「ば、馬鹿言うんじゃねえよ。俺のどこが」
「でも幽助がいないとつまらないだろう?」
 蔵馬は倍のペースで飲んでいる桑原の前の空缶を数えた。一応今日のノルマは終わったが、自習分は持ち越しかと、家庭教師役の蔵馬は少しだけ心配になる。だが結構落ち込んでいるらしいのは自分も同じなので、とりあえず目をつぶることにして新しい缶のプルタブをひいた。
 幽助が魔界へと発ったのは三日前。時を同じくして飛影も姿を消した。波乱必至の状況にあって、如何に家族を巻き込まずに済むか、それだけを考えている蔵馬である。意外と片付いている桑原の部屋には、「目指せ骸工大付属」との貼り紙がしてあり、それが妙に今の精神状態とそぐわなくて笑える。
「…でもなあ」
 二人で座り込んだ床の上につまみを更に広げ、桑原は首を傾げた。
「あいつ三年で帰るって断言してたからな。ま、その時またリターンマッチってのも可能だろーさ」
 帰って来られればね、という言葉を、蔵馬は口の中に飲み込んだ。
 魔界の状況は予断を許さないが、幽助であればその均衡の破綻すら良い方に買えてしまうかもしれない。そのかすかな希望は、蔵馬の内に確固として残っている。
「でも、三年ってなどこから来た年数なんだかなあ? それくらいで片付きそうな状況なんか?」
 桑原がたずねたのは、幽助の破天荒な去就の中で、これだけは明確に示された将来のビジョンだったからだ。蔵馬も首をかしげる。
「いや、そんな簡単に行くかどうか…でもそう言えば、幽助は三年って随分こだわってたね」
「それが聞いとくれよ爆笑だから!」
「うわっと」
「ぼたん!?」
 いきなり乱入した声にのけぞると、いつのまにか開けられたドアからぼたんと静流が顔を覗かせている。
「な、なんだよてめーら」
「おや、つまみ持ってきてあげたおねーさまに何か文句でもあるのかい?」
 どうせ飲んじまうくせに、と言いながらも、桑原は二人のために場所を空ける。両手にいっぱい酒の缶を抱えたぼたんは、既に赤い顔をして上機嫌だった。
「あのね、螢子ちゃんのお父さんとお母さんに聞いたビッグニュースがあるんだよ」
「…いつのまに知り合いになってたんだ?」
「しょっちゅうご飯食べに行くから、もう常連さね。それがねえ、聞いて聞いて」
 言う前から声が笑いに震えている。もとより彼女は笑い上戸だが、今日は一層陽気だった。
「なんと! 幽助が螢子ちゃんにプロポーズしたっていうんだよ!」
 とたん、どがしゃん、と桑原の持っていた缶が盆に叩き付けられた。
「なんだってえ!?」
「それでね、どうも返事がOKだったらしいんさね」
「へー、やるなあ幽助」
 瞬時に立ち直って律義に感心してみせた蔵馬の前で、静流の声も笑いを含んでいた。
「それがねえ、小さい頃から、三十度目か四十度目の正直なんだって」
「そうそう。喧嘩してふられそうになるたんびにプロポーズしてたんだってさ」
 ほんとに昔から好きだったんだね、と女性二人は顔を見合わせて笑う。
「…なるほどね。三年たったら十八才か」
「そーいうこと。速攻で結婚式やる気じゃないかい?」
 既にその時点に空想が飛んでいるらしいぼたんは、両手を組みあわせて目を輝かせた。桑原は硬直して瞬きを繰り返していたが、やがて大仰に息をつき、唐突に爆笑しだした。
「ぷろぽおず! プロポーズと来たか! あんの馬鹿が、どのツラ下げて何言ったんだかなー」
「なんか営業中のお店のど真ん中で、焼き肉定食食べながらだって。幽助らしいやねえ」
「らしすぎるね」
 蔵馬も笑いをこらえながら缶に口をつけた。
「そー言えば、浦飯のおふくろさんは? 知ってんのかこのこと」
「知ってるよーん! このぼたんちゃんに抜かりはなし! 昼からずーっと温子さんと祝い酒だったんさね」
 それでもう出来上がってるのか、と蔵馬は苦笑し、ぼたんの手元からさりげなく缶を移動させた。無駄と一応は知りつつも。
 案の定ぼたんはさっさと缶を取り返し、高らかに宣言した。
「さー今日はとことん飲むよっ!」
「おおっ!」
 静流が止めないので止まるはずもなく、飲み会は真夜中まで続いた。打って変わって上機嫌になった桑原が、自分が受験生だったことを思い出すのは、自室に林立する空缶の山を掃除する段階になってからだった。


 ぼたんを送ることにしたのは賢明だったと蔵馬はつくづく思った。人気のない街路、櫂に乗ってしまえば姿が失せるとはいえ、へれへれと飛んで塀だの電柱だのにぶつかる様を見てしまっては放っておけない。結局蔵馬は櫂を取り上げ、酔いが覚めるまで道端で休むことにした。住宅地と繁華街の境目はひっそりと人気がない。
「ほら、しっかりして」
「んー、だいじょーぶー」
 泊まれと言う静流のすすめをぼたんが断ったのは、翌日―――既に今日だが、仕事があるからだった。探偵助手の任はとっくに解かれ、現在は霊界案内人に戻っている。こんな状態で務まるのかと、蔵馬は人事ながらいささか心配になったが、ぼたんはとことん上機嫌だった。
「幽助と螢子ちゃんのことがそんなに嬉しい?」
 呆れ混じりの質問に、あっけらかんとした答えが戻ってきた。
「そりゃそーだよ、おめでたい話だしさ。それに、幽助が無事に帰ってくるって太鼓判がついたよーなもんじゃないか」
「ええ?」
「螢子ちゃんと約束したんだから、帰ってくるに決まってるよ」
 並んで座り込みながら、ぼたんはのほほんと断言する。論評を差し控えた蔵馬の鼻先に、ぴっと指がつきつけられた。
「蔵馬だって浮かれてるじゃないか」
「俺が?」
「昨日の温子さんの飲み会のときより、ずーっと普通の笑い方してるよ」
「…普通、ねえ」
 自分ではいつも変わりなく過ごしているつもりだった蔵馬は、少しだけ呆気に取られて瞬きした。見返され、ぼたんはにっこりと笑う。
「ね、何か悪巧みしてるんだろう?」
「悪巧みって…俺が?」
 唐突な話題の転換に面食らう。今日は何回彼女に驚かされただろう。
「幻海師範のところで何かしてるって言うじゃないか。コエンマ様から聞いたよ」
「ああ、あれか」
 蔵馬は苦笑して頷いた。コエンマはあれで食えない人物だが、今回ぼたんへの情報制限はかなり緩いようだ。
「別に、悪巧みなんかじゃないよ。強くなりたい連中を鍛えてもらってるだけだからね」
「ふうん?」
 こうしてはぐらかすように蔵馬が答えるときは、おおよそ質問を肯定しているということだ。ぼたんは抱えた膝に頭を乗せ、酒気を追い払うように息をついた。
「じゃあ、あとは飛影だけだね。んーでも、雪菜ちゃんがこっちにいるから平気かなー…」
 その声の頼りなさに蔵馬は眉をひそめる。三人が魔界に行くと聞いてぼたんは騒いだが、決して暗い顔を見せたりはしなかった。
「…もしかして、ずいぶん心配してた?」
「んー…」
 言いあぐねるように視線を泳がせ、似合わない沈黙の後でぼたんは口を開いた。
「だってねえ、いくらあたしでも、魔界には簡単に行けないから」
 半分閉じた目が、わずかに真剣な光を帯びる。
「みんな帰ってくるつもりがなきゃ、会えなくなっちゃうじゃないさ」
「…ぼたん」
 蔵馬は抱えていた櫂を傾けて、つくづくぼたんの顔を見た。酒の引き始めた顔色は心なしか暗い。それでもぼたんは、勢いをつけるように顔を上げた。どこか茶化した話にしてしまうのは、彼女の性と言うべきか。
「それにさ、魔界で死なれたりしたら、案内もしてあげらんないし!」
 話の内容は物騒だったが、蔵馬は彼女の努力を感じてひとまず頷いた。
「魔界からじゃ、案内人でも迷いそうだね」
「でしょー? だからまず、帰りたいと思ってくれなきゃね」
 いっくら敏腕でも限度があるからねえ、とぼたんは混ぜ返して笑った。つられて笑ってみせながら、蔵馬はそれでも、と心の中で但し書きをしてしまう。
 帰って来たいと思っても。それでも、帰って来られるかどうかはわからないのだ。
 それを承知した上で、でも希望は持てるとぼたんは笑う。
 なぜだか彼女の頭をなでてやりたいような気持ちになって、蔵馬はわざとらしく。空を見上げた。
「帰って来るのが楽しみさね」
「…そうだね」
 これだけは本心から頷きを返す。待ってくれる人のいる幽助を、ほんの少しうらやましく思いながら。
 とりあえずこれはもう少し返さないことにしようと、蔵馬は櫂を抱え直した。





おひさしぶーリーねー、の幽遊白書。
幽助×螢子ちゃんのつもりで作ったらこんなになった…
これはひょっとして蔵馬×ぼたんなのか?



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