休日の休息




 オラクルは実は大物だ。
 実は、といささか失礼な言葉がつくのは、常日頃の彼は大ボケまたは天然ボケに類する態度と思考の持ち主であり、同じ顔のオラトリオと比べておっとりした印象を周囲に与えがちだからだが。
 ソファに向かい合わせに座った秘色の着物、片手に相棒細雪を抱いたコードの剣呑な視線を真正面から受けて、平然としていられる男などそうそういない。
 少なくとも自分なら逃げる。―――と、実際にオラクルを盾にする形で立っているオラトリオは思った。
「…お前、こんなところで暇を潰していていいのか」
 自分を棚に上げてコードが言うと、オラクルは頷いておっとりと笑う。
「今日は休日だから、学術ネットは結構すいてるんだよ。私が出るほどのプロジェクトもない」
 コードの唇がへの字に引き結ばれ、視線がオラクルを突き抜けるほど鋭くなる。
「何か気がかりなことでもあるのかい? ずいぶん不機嫌だな」
 カルマ直伝の手法でいれた緑茶の湯呑みを差し出しながら、オラクルは首をかしげてたずねた。とたん、びりびりと場の空気に緊張が走る。細雪の鍔が金属的な音をたてるのが、現実空間でないだけに一層恐怖を増す。約一名に対してのみだが。
「ちょっと待った。私の空間で破壊行為は御法度だぞ」
 残る一名は恐いもの知らずに言い、指先でお茶を指し示す。
「とりあえず飲んで落ち着いてくれ。それはエモーションが持ってきてくれた玉露だよ」
 だからそれを言うなー! と声なき思いでオラトリオが頭を抱えると、オラクルはコードが行動を起こすより早く、にこやかに言い放つ。
「コードがよくここに来るからって、コードの好みのものを持ってくるんだよ。兄妹仲がよくてうらやましいな」
「…っ、それは、当然だ。俺様の妹だからな」
 返事になっていないことを言い、コードは抜きかけていた細雪をとりあえず鞘に収めた。再度どうぞと薦められたら、飲まないわけにはいかない。大振りの湯呑みをつかんで黙ってすする。
 オラトリオはため息をついた。
 ―――やっぱりこいつは大物だ。
 オラクルの前に置かれた紅茶もまた、エモーションの土産だということを言わないあたりが特に。それが意図的なものではなく、本当に「兄思いの妹」であるエモーションに感心しているだけだということを、片割れである自分はしっかり知っている。
 そもそも、今日は。「外」で仕事があって。けれど、妹が頻繁にオラクルのもとを訪れていると聞きつけたコードが、シグナルの修行を放り出して電脳空間にダイブするというから。事情を察してオラクルのガードに来たはずなのに。
 自分用の紅茶をオラクルの出がらしで入れながら―――微妙に不味いあたり、今時のデータプログラムはよくできている―――ガーディアンの役割って何だろう、と真剣に考えるオラトリオだった。
「…あれ、噂をすれば」
 オラクルが顔を上げると同時に、居間のドアがコンコンコン、と軽い音でノックされた。ORACLEに出入りする際、律義にこんなことをする―――こともある―――人物といえば彼女だけだ。蝶番がこすれる音とともに、オラクルがドアの開閉プログラムを制御した。これが結構重大なセキュリティシステムだということは、いつもいきなり居間に降って湧くコードも承知している。
「<A−E>EMOTION:Elemental Electro-Elektraが参りました。こんにちは、オラクル様。あら、オラトリオ様。兄様も」
 いつもどおりの長い挨拶と共に入ってきた彼女に、男三人は軽く目をみはった。
 ギャザーを寄せた淡い黄色の布地をふんだんにつかったワンピース。髪も珍しく編み込んだ形にして、小さいかばんを片手に、エモーションはにっこりと笑った。
「ちょうど今日、秋の新作コレクションの日でしたのよ。それをもとにしてデータを作ってみましたの。いかがですかしら?」
「うん、よく似合ってる」
 オラクルが心から感心して言うと、彼の相方も大袈裟にうなずいた。
「うんうん、深窓の御令嬢そのまんまだねえ。ぜひこのまま、わたくしめをエスコート役にネットをデート…」
「―――余計なことを言うな、オラトリオ」
 きっぱり釘をさしてから、コードは妹に向かって二回ほどうなずいてみせる。似合わないと思えば妹にでも似合わないという男だが、同時に妹たちに着こなせない服などないと思っているので始末におえない。
 いつもよりいくらかおとなしめに歩くと、エモーションは兄の隣に腰かけた。
 彼女も居間に直接姿をあらわすことのほうが多いのだが、そこはそれ、今日はたしなみの必要な服装だという自覚があるのだろう。オラクルの差し出す紅茶を受け取るしぐさも、常にまして上品だ。香りを楽しみ、一口飲んでからにこやかに笑う。
「セイロンですわね。こちらでは初めていただきますわ」
「うん、君が前にお勧めだって言ってたからね。カルマに頼んでデータをいれてもらったんだ」
「とてもおいしいですわ」
「それはよかった」
 和やかに続く会話の向こうで、ロボット界きってのシスコン兄のこめかみがわずかに震えている。心の中で十字を切りつつ、オラトリオはコードを少々気の毒に思った。コードもお茶を飲み干しつつ対策を考えるが、思い付かない。オラクルもさることながら、エモーションの表情が実に嬉しそうで、妹思いの兄としては、かえって間に割って入るのは気が引ける。完全に弟子であるシグナルや、完全に敵に回しても良心の呵責を感じない正信などに比べると、オラクルは手荒に扱えない相手だった。彼のもつ雰囲気がそれをためらわせる。
 それでもとりあえず、エモーションが戻るまではここにいることに決め、尊大なしぐさでオラクルにおかわりを要求する。彼が応じて立ち上がったところへ、いきなり電話のベルが鳴った。
「オラトリオ、すまん、出てくれ」
 オラクルが指をはじくと、応接の卓上に小さな画面がついた電話が現れる。
「ほいほい、っと。…あれ、カシオペア博士?」
「え、おばあさま?」
 電話に出たオラトリオの後ろにさっと回り込んで、エモーションが画面を覗き込んだ。音声をスピーカーモードにして、オラトリオが画面の前を明け渡した。カシオペア博士の通信は、大概の場合最優先で通される。
「あらエモーション、それは今朝言っていた服ね? かわいいわ、よく似合う」
「ありがとうございます、おばあさま。戻ったらもっとよくお見せしますわ」
「ユーロパも見たがっていたようだし、そうしてちょうだい。楽しみだわ」
 母と娘、もしくは祖母と孫の会話があたりの空気を和ませる。<ORACLE>への専用回線で世間話をしていても、彼女ならば許される。それどころの騒ぎではなくネットを私物化した連中がごろごろいることでもあるし。
 ひとしきりファッションの話で盛り上がった後、カシオペア博士の声が改まった。
「―――オラクル、オラトリオ、くつろいでいるところをごめんなさいね。コードはそこにいるかしら?」
「いるぞ。なんだ」
 コードが画面に出ないまま応ずると、カシオペア博士の声に苦笑が交じる。
「音井君から連絡が来たのよ。あなた、今日は調整日なのでしょう?」
「……」
 小さく舌打ちして、コードは一度ソファにふんぞり返った。意図的に忘れていたのがありありと見て取れる。
 状況を承知していると思われるカシオペア博士は、優雅に首をかしげて問いを重ねる。
「コード? 何か不都合があったかしら?」
「大有りだ」
 返事をしつつオラクルをにらみつける。訳が分からず、にらまれた当人と可憐な客人は顔を見合わせた。
「何かあったか?」
「お約束はございませんでしたわよね?」
 状況を把握していない問いを同時に寄せられて、コードはますます剣呑な目つきになりながら、反動をつけてソファから立ち上がった。これが音井教授からのコールなら、通信回線を叩き切ってでも(前科一犯)無視するところだが、カシオペア博士からとあってはそうはいかない。直接ここに連絡するのではなく、間にカシオペア博士を挟んだあたり、音井教授もコードの性格をよく理解しているとオラトリオは思った。
「―――わかった。行く」
 渋々というのがわかりすぎる声で言うと、コードは腕組みしてオラクルを見た。オラトリオが一瞬あとずさるほどの眼光を受けながら、オラクルは気にした様子もない。
「またゆっくり来るといいよ。何か話があったんだろう?」
「―――別にないがな」
「え? でも」
 問い返そうとしたオラクルを無視し、コードはエモーションに歩み寄った。
「あまり長居するな、エレクトラ」
「ええ、わかってますわ」
 にっこりと微笑んでかえされると、兄として言えることは少ない。舌打ちして身を翻すと、まだ画面に映っているカシオペア博士にすら挨拶せず、コードは姿を消した。
「師匠、だいぶキてますね。こりゃ音井教授は大変ですぜ」
「悠長に言ってる場合でもないわよ、オラトリオ?」
「え? ありゃ、みのるさん」
 電話の画面はいつのまにか分割モードに切り替わり、左半分にカシオペア博士が、右半分にみのるが映し出されている。
「今日はシンクタンクの仕事だったはずでしょう。もうみんな待ってるわよ?」
「これは失礼。女性を待たせるとは」
 おどけて一礼してみせて、オラトリオは部屋に残る二人に手を振った。
「ちょっくら行ってくるわ」
「もう? 残念ですわ」
「がんばってこいよ、オラトリオ」
 みのるとカシオペア博士が画面の中で肩を竦め合っているのに笑って応え、オラトリオの姿も消える。二人が残った室内に、ゆったりと紅茶の香りが流れた。
「騒がせてごめんなさいね、オラクル。エモーションも」
「いいえ、カシオペア博士」
「オラクル、今日はゆっくりくつろいでね。明日のプロジェクトはよろしく。エモーション、またうちにも来てちょうだいね」
「もちろんですわ、みのるさん」
 二人それぞれに挨拶を交わし、電話は切れた。
「…? 何だか皆さんせわしないんですのね」
「そうだね。なにか、急ぎの用でもあるのかな」
 二人とも怪訝には思ったが、それもやがて談笑のうちに紛れる。
 エモーションが運んできてくれる外の世界の話を、オラクルはことのほか好んでいた。それは日常のたわいないエピソードが主だったが、愛情と好奇心を持った語り手の表情に、ついつい釣り込まれてしまうのだ。
 エモーションも、温和な主が常に出迎えてくれる、荘厳で居ながら居心地のいいこの図書館をとても気に入っていた。落ち着いた言葉と相槌に、いつもより多弁になる自分を自覚しながらも、ついことあるごとに通ってしまう。
 カシオペア博士やみのるには、すでにお見通しのことだった。新しい服や珍しい日用品グッズなどが手に入ると、必ず真っ先にオラクルに見せに行くエモーション。オラトリオの話では、エモーションの好きそうな紅茶や茶菓子を集めることに、オラクルも熱心だという。
 だから休日に、コードとオラトリオの所用をわざわざ重ねるように画策したのだ―――とは、あの兄君には決して教えられない、保護者たちの秘密である。


ごめんなさい。短いし。どこがオラクル×エモーション…。
私はカシオペア家の姉妹を書くとき、どうしてもコード兄様を出してしまいます。
ことに電脳空間が舞台とあっちゃ、出さないわけには参りません。
でもカシオペア博士が最強ですね ^_^;)



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