I call up ....





 正信はため息を吐きたい気持ちを押さえつつ、今日四回目の電話番号をダイアルした。コール音はたったの一回。瞬時に相手が出る気配がして、正信はげんなりした気分を味わいながらも、とりあえず挨拶を試みる。
「あ、もしもし―――」
「留守だ」
 一言告げてぶつっと電話は切れる。正信は受話器を握り締め、今度こそ本気でため息を吐いた。
「どうして有線電話でまでコードが邪魔するんだ!」
 昨日からの疑問を電話にぶつけても返答はない。
 正信の現在の身分は、スキップの末の大学生、最終学年である。本来の電話の相手であるみのるは、やはりスキップの末一足先に院生となり、カシオペア博士の元からアトランダム本部の研究室に顔を出している。ちゃんとつきあい始めて二ヵ月ほどになるが、二人とも多忙でおいそれと会うことができない。それはそれで、正信にとっては特に悲観するようなことでもなかったが、それ以上の関係に発展するには天敵が存在していた。
 彼女が住んでいるのはカシオペア博士邸。ということは、ホームコンピュータの全般、セキュリティやネットワークの管理を、コードとエモーションがやっているということである。
 大事な妹に手を出す虫として、正信はコードにきっぱりと認められてしまったらしい。ただみのると話していただけでも、その後しばらくの不機嫌と言ったら並大抵ではないのだ。電子メールも、さすがに盗み読みなどはしないようだが、お互いに出したら即座にわかってしまってまた一騒動。かといって実際の郵便を使うような距離でもない。
 昨日までは通常の電話であれば通じた。電話回線のデータに直接割り込むことは、セキュリティ担当者のプライドが許さないらしい。が、カシオペア邸に現在逗留中のロボットはあと一人いる。ハーモニーである。電話発信者が音井家の者の場合は、彼が研究室で受話器を持ち上げ、至近距離のプロジェクターで待ち構えているコードに向ける―――という段取りになっている。それでも受話器を取ってくれるのは、正信ではなく音井教授からの連絡である場合を考慮してのことだ。
 別に何せコードと正信は長い付き合いである。お互いに厄介な性格であることは充分すぎるほど承知している。それだけに、どれだけ関係が冷える事態が起ころうとも、どちらも引き際をわきまえて和解してきたのだが―――今回ばかりはそれが通用しないらしかった。
 もちろん正信の方も、おとなしく引き下がる性格はしていない。となれば、全面対決は必至である。
 命じられたからとは言え、電話を叩き切った張本人となってしまったハーモニーなどにしてみれば、これは非常に恐ろしい事態だった。
「ねえ、今電話が鳴らなかった?」
 のんびりした顔で研究室に入ってきたみのるに問われ、ハーモニーはぎくっと身を竦ませた。
「ボ、ボク知らないっ。あっそうだ、間違い電話はあったけど」
「そお?」
 コードはさっさと姿を消した後だ。ハーモニーの冷や汗を知ってか知らずか、みのるは邪気のない顔でにっこり笑った。
「この次電話が来たら、私が取るから。ハーモニーには大変でしょう?」
 確かに受話器は彼の手に余るサイズである。が、それより手に余る某ロボットプログラムを思って、ハーモニーは引きつった笑いを浮かべた。
 当の兄上は、電脳空間の中で外部の会話を聞いている。この研究室でマイクがオフになることはない。傍らに控えるエモーションは、見事にむくれているコードに、少し眉根を寄せて進言した。
「コード兄様、ちょっと正信ちゃんがかわいそうですわ」
「どこがだ」
 応答はにべもない。だがそれでも返事をするだけ、ハーモニーなどに対するときよりましだった。
「何か大事な連絡でしたらどうしますの?」
「それならこんな生ぬるいことで引き下がる訳がなかろう」
 コードは憮然としている。電脳空間からの邪魔には限界がある。その気になれば簡単に外で会えるはずだ。それを敢えてわざわざ、彼の目の届く範囲で連絡を取ろうとしているからには―――
「俺様に挑戦しているに違いない」
 至極当然という顔でコードはふんぞり返った。こういう時の兄の頑固さは比肩しうるものがない。エモーションは肩を竦めて、それ以上の追求を控えた。
「みのるさんががっかりしないように気をつけてくださいね、お兄様」
 それでも弱みをしっかりとつついて、兄が言葉に詰まる姿を確認してから、エモーションは姿を消した。一応正信に連絡を取ってみるつもりだったが、ここから直接音井家に行くとコードに知れる。そこで彼女は、まずアトランダム本部にあるカシオペア博士の研究室を訪ねた。ホームセキュリティは、現在のコードに任せておけば万全だろう。
「―――なんだか、正信さんはずいぶん苦労しているみたいですね」
 プロジェクターの前でにこやかに彼女を迎えたのはカルマだった。音井教授とカシオペア博士が後ろで苦笑している。エモーションは実のところ現在の状況を面白がっているので、ころころと笑ってカルマに答えた。
「一番苦労しているのはハーモニーさんですわ。ずっと電話番をさせられてしまって」
「なんじゃ、面白そうだからとわざわざ見物にいったんだろうに」
 呆れた声で音井教授が言う。最初は音井邸で正信をからかっていたハーモニーは、コードの方の反応を見てみたいと言ってカシオペア邸に移ったのだ。コードのシスコンぶりはよく知っていたが、その認識が甘かったと、あとでエモーションにこぼすはめになったが。
 カシオペア博士は何も言わずに笑っている。あの小さかったみのると正信が、と微笑ましく見守っているらしかった。
「でも、正信さんも律義ですね。わざわざ自宅から電話なさらなくても、他にいくらでも連絡を取る方法はあるでしょうに」
 カルマが首をかしげると、エモーションは肩を竦めた。
「正信ちゃんは、意外と意地っぱりなところがありますもの。それに、一度抜け駆けをすると後が大変だっていうこともあるんだと思いますわ」
 へそを曲げたコードの厄介さ加減を身にしみて知っている一同は、深々と頷いて苦笑しあった。それからふと心づいたようにカルマが口を開く。
「…みのるさんは気づいていらっしゃらないんですか?」
 エモーションはにっこりと笑みを返した。
「そう思います?」
「…いえ」
 カルマはあのおっとりした女性の底にある鋭さを思い返した。いたずら電話などと、ごまかされる訳も無いのだ。
 この後訪ねた音井家の研究室でも似たような会話が展開され、エモーションは「正信のむくれた顔」という世にも珍しいものを見ることになった。
「…みのるさんらしいかも知れないけどね」
 プロジェクターの中の箱入り娘は、苦笑してうなずいた。
「兄様の顔を立ててくださってるんですわ」
 しょっちゅう出歩いてしまっているとはいえ、コードとエモーションはカシオペア家の守護者だ。現実空間と接触できる数少ない場所で、家族として暮らしている人間たちを守るという考えは二人とも強い。ことにコードは行き過ぎとも言える保護者精神の持ち主である。
「正信ちゃん、私でよければ伝言を承りますわよ? このままじゃ、みのるさんに電話が通じるのはいつになるかわかりませんわ」
「…うーん」
 正信は軽く腕組みした。今回の電話の目的は、正信にとって最後になる大学祭への誘いだった。みのるにとっても母校になる大学だ。伝言をためらうような内容ではないが、逆にこれしきのことでエモーションに頼ってしまっては、この先が思いやられるという気持ちもある。
 一つ決心して軽く頷き、正信はエモーションに向き直った。
「要するに、コードを少しの間電話から剥がせば良いわけだから。―――ちょっとルール違反をさせてもらうね」
 正信の目の奥に剣呑な光があるのを見て、エモーションは気分的に少し後ずさった。そして彼の策を聞いて、聞かなかったことにしたいと、かなり切実に考えるはめになった。


 カシオペア博士の電脳空間にエマージェンシー・コール。それはコードにとって、何にも優先される出動要請である。
「ハーモニー! 正信から電話が来たら切れ!」
 スピーカー越しにそれでも怒鳴っておいて、コードは電脳空間に飛び込んだ。同時に電話が鳴ったことも、ハーモニーが迷うより早くそれがみのるの部屋で取られたことも、気づく猶予はない。電話回線と彼の目的地は別の空間に属する。
 また研究所のネットを経由して戻ってきたエモーションが、兄のすぐ後ろにしたがった。線のように光る細雪は、普段は何にも増して心強く見える。だがこの警報の正体を知っている今は、逆に怖く感じられた。
「エレクトラ、下がっていろ」
 警報の出所にたどり着くと、コードは妹を後ろにかばった。整然と整えられた情報空間の「壁」に、下層ネットからの穴が、ぽっかりと口を開いている。そこから滲み出すように零れてくる、視覚映像ではアメーバのように見えるものたち―――ウイルスだ。
「ハッピー・トーク、という奴だな。増殖してメモリを食いつぶす型。何年か前、アメリカのぼけが作った奴だ」
 ウイルスの名前と簡単な資料をデータベースから引き出してコードはせせら笑う。最強の攻撃プログラムを使いこなしている自信は、ロボットプログラムとしてのウイルスに対する恐怖心を無に帰している。
 ひゅ、と白刃がうなる。ウイルスに切っ先が触れる。が、その結果はいつもと違っていた。
「―――!?」
 コードの目の前でウイルスたちが変化した。細雪に触れた部分から順にゆっくりと消えていく。霧散ではない。それは、コードの認識する細雪の消去対象とそのウイルスが、微妙に違っている証拠だ。
 変化して増殖する型かと刀を引いたが、ウイルスの消滅は止まらなかった。最後の一つが消えたとき、電脳空間に開けられた穴も同時にふさがった。
「まさか、罠か。これはおとりか?」
 安堵より先に警戒が沸き上がり、コードは急いで電脳空間の他の場所をサーチした。だが、システムの破損も、他からのハッカーの侵入も認められない。
 そして、最初に穴のあった場所に視線を戻すと―――そこに、短い文字列が浮いていた。
 ウイルスに擬装したメッセージシグナル。
 そう悟った瞬間、コードは眉を逆立てて身を翻した。
「コード兄様!?」
「あの男、俺様をたばかるとは!」
 妹の呼び止める声にもかまわず、彼の軌跡が電脳空間を突き抜けて行く。取り残されたエモーションの目の前で、メッセージシグナルがゆっくりと点滅した。
 ―――コード、お疲れさま。
「…正信ちゃんったら…」
 エモーションが読み終えた途端メッセージは掻き消えた。一応探しては見たが、発信者を特定するデータはかけらも残されていない。だが間違いなくコードにばれまくっている実行犯の男の名をつぶやいて、エモーションはこれから起こるだろう騒動を思った。


「―――電話一本かけるのが、こんなに大変だとは思わなかったな」
 受話器から聞こえる正信の声に見事なため息が含まれているのを感じて、みのるは苦笑した。みのるの部屋の受話器にようやく通じたのだ。
「ごめんね、何度も電話をくれたんでしょう?」
「いえいえ。僕もそれなりに面白がってるから。―――みのるさんと同じにね」
「あら」
 みのるはちらりと肩を竦めた。面白がっている、というと語弊があるが、正信の言うことはある程度当たっている。コードがことに自分を大事に思ってくれていることがよくわかって、嬉しかったりもしたのだ。今は研究室にいるハーモニーなどは、冗談ではないと怒るだろうけれど。
「それで、学祭はどうしようか? ネット研究会の発表日には来るでしょう?」
「ええ、そのつもりよ。…それでね、ひとつ相談なんだけど。コードとエモーションにも、発表を見せてあげたいと思ってるの。良いかしら?」
「…見せる、っていうと」
「エモーションが見たがってたから。カメラをセットしてね、映像と音声を一緒に送ってあげようと思うの」
 わずかの沈黙の後、困惑したような声が戻って来た。
「……要するに、あの二人も大学祭に招待したいってことだね」
「そういうこと」
 セッティングは私がやるから、と告げると、正信の声にまた苦笑が交じった。
「ま、研究会の方は大丈夫だと思うけどね。…学校中カメラを持って移動するとか、言わないでくださいね」
「あ、それ良いかも」
「…みのるさん」
 名前を呼ぶ声が呆れる。それに笑って答えようとしたとき、ざざ、と雑音が聞こえた。
 みのるが受話器を持ち直したとき、その音は唐突に途切れ―――同時に、通話も切れた。
「もしもし?」
「あんな奴と話すんじゃない、みのる」
 声だけが、卓上においてある端末のスピーカーから聞こえた。合成され微妙に異なるとはいえ、特徴を間違えようもない「兄」の声。
「まさか、回線を切っちゃったの?」
「正信の家からの通話だけ全部切る!」
 自業自得だ、と言うなりスピーカーはまた沈黙する。みのるは苦笑した。正信が無茶をしすぎたらしい。とりあえず受話器を置いたが、案の定、それきり呼び出し音は鳴らなかった。ダイヤルを回しても、最後の番号を押し終えた瞬間に切れてしまう。
「ごめんね、正信さん。…でも」
 ちらりと端末に目をやってみのるは呟く。
「もうちょっとだけ、兄に甘える妹をしててもいいわよね?」
 みのるはこっそりと、切れた電話の向こうの正信に笑ってみせた。

―――End 98/11/25






ご、ごめんなさい。何か、全然正信×みのるさんじゃないような…。
主役って…コード?
おまけに…うわーリクエストから2ヵ月近くたってる!
お待たせして本当にすみませんでした。



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