地の上では





 シャーカーンからニサンを解放すべく、ユグドラシルがイグニスへと潜行した日。まず街の様子を探るため、一同は直接法王庁へ向かわず、ニサンに近い森の中に作られた隠し出口から地上へと上がった。シグルドとバルト、フェイ、マルーに続いて地面に足を下ろしたビリーは、背後から聞こえた小さな悲鳴に振り返った。
「? マリア?」
 出口から足を踏み出した形のまま立ちすくんだ少女は、瞬きを繰り返しながら足元を見つめている。彼女に続いていたシタンとエリィが急いで上がり、先行組も何事かと駆け寄ってきたが、特に周囲に異常は見受けられない。
「どうしたの? 虫でもいた?」
 マルーが尋ねるが、マリアはまだ少し硬直した表情で頭を横に振った。それからおそるおそる爪先を動かし、数度足を踏みしめて少し息をつく。
「マリア?」
「あ、すみません」
 一同の不審げな表情に気づいて、マリアは慌てて顔を上げた。
「私、土の地面に降りるのって、初めてで…」
「…ええ!?」
 一拍置いた驚愕の声が重なる。マリアはどことなく居心地の悪そうな顔で、もう一度足元を見下ろした。
「ソラリスではずっと研究所から出たことがなかったし、シェバトでも緑地に足を踏み入れるのは禁止されていますから。今まで地面って言ったら、鉄とか大理石とか石畳ばかりで」
「…ああ、なるほど」
 ソラリスとシェバトの風景を思い出して、シタンがうなずいた。ソラリスでは居住区エリアには公園があるが、マリアのいた研究所エリアは、職員やその家族の福利厚生はてんから無視されている。
「なんだか面白い。土って柔らかいんですね」
 水を吸った土や下草の感触を楽しむように微笑して、マリアはそっと足を踏み出した。その顔を一瞬よぎった年齢相応の無邪気さから、ビリーがちょっとした計画を思い付いたことを知らないまま。



「―――ということで、今日の作業は、このお姉さんが手伝ってくれるからね。畑仕事は初めてだそうだから、いろいろ教えてあげてね」
 はーい、と孤児院の子供たちが元気よく唱和する。孤児院の食堂は、スコップや笊を持ち、作業着に身を包んだ子供たちでにぎわっている。その前で、マリアはいささかまごついていた。
 次に向かう予定のサルガッソのこととか、タムズで海中仕様に改造してもらっているゼプツェンのこととか、いろいろと気になっていることはある。だがそれ以前に、いきなりここに連れてきて、いきなり畑仕事をしろと言い出したビリーの真意がつかめない。彼の申し出を受け、二人の外出をあっさり許可したユグドラの副艦長のことも。確か「戦いに備えて、慎重な行動を」などと言っていたはずなのに。
 大真面目にそう考えている彼女は、もちろん、ビリーに頼まれたバルトとマルーがシグルドの説得に手を貸したことを知らない。
「ちょっと、人手が足りないんだよ」
 出発に先立って、ビリーはどこか申し訳なさそうな表情でそう告げた。
「マリアが忙しいのもわかるんだけど、一日だけ頼めないかな。孤児院の子達と君は年も近いし、きっとみんな打ち解けて作業できると思うから」
 芋や根菜類の収穫だと聞いて、ちょっと興味が涌いたことも否定できない。困っている様子のビリーにうまく乗せられた感がなきにしもあらずだったが、申し出を承諾したときの彼の笑顔を思い出すと、今更断ることもできなかった。プリムの手を引いて孤児院に向かいながら、マリアはすぐに作業を終えてタムズに戻ると言い募ったが、ビリーがまともに聞いているかどうかは心もとなかった。
「お姉さん、これ持ってね。で、畑はこっち」
 世話ずきと顔に書いてある少女が、深い籠を一つマリアに持たせて手を引いた。まごついている彼女を取り巻き、また引っ張りながら、子供たちは我先に外に出て行く。少し大きい作業着を気にしながらも、マリアはとりあえず後に続いた。
 畑仕事組が出ていってしまうと、ビリーは思惑が当たったという顔で頷き、残った子供たちに指示を出した。くぎと板を担いだ彼らは、この古びた孤児院の修繕をする。ビリーはとりあえず畑に近い部屋に陣取り、マリアの奮闘を見るつもりだった。
 部屋の内側から、窓枠のがたつきを確認して作業に取り掛かると、スコップを片手にジャガイモを掘り返している彼女の姿がちょうど目に入った。下を向いているので表情はわからないが、いかにもおそるおそるという様子がわかって笑いを誘われる。
 一度引き受けた以上、とことんまでやってしまうのが彼女の性格というもので。
 背後でビリーが見ているのにも気づかず、マリアはそれは真剣に大小のジャガイモを相手に奮闘していた。いや、土の中の虫やミミズと格闘していると言った方が正しいかもしれない。初めて掘り返す土の中から、目当てのジャガイモが出てくるのは面白いらしいが、一緒に顔を覗かせる虫たちは気持ちが悪いようで、時折小さい悲鳴を上げては後ろへ飛びのく。
 子供たちは虫には慣れたもので、いちいちびくついているマリアの様子を面白がっていた。
「どうしてみんな大丈夫なの?」
 横合いから虫をどけてもらいながら、本当に疑問らしくマリアは尋ねた。あまり真面目に尋ねられて、子供たちが一斉に笑い崩れる。
「あたしたちだって、平気なわけじゃないよね」
「うん、でもやってると慣れちゃうよね」
「畑仕事だと、どうしても見るから」
 年長に近い少女たちが、顔を見合わせて頷きあう。
「だから、マリアお姉ちゃんも、やってれば慣れるよきっと」
「そうかしら…」
 いささか心細そうにマリアはつぶやき、掘り出したジャガイモを籠にほうり込んだ。隣の畝で作業していた少年が身を乗り出して、がんがんと景気よく金槌の音を響かせているビリーを指差す。
「あのね、僕は平気だよ。ビリー兄ちゃんがさ、ミミズとかおけらとかも、畑仕事してくれてるんだって言ってたからさ」
「…?」
 マリアが首をかしげると、少年は得意そうに解説した。
「葉っぱとか、ごみとか、分解して土にして、野菜の栄養にしてくれてるんだって」
「あ、うんうん。すごく役に立ってくれてるんだって」
 数人の子供が頷いて、ビリーの背に向けて「ねえ」と確認の声をかける。
「そのとおり。よく覚えてたね」
 ビリーが少し振り返ってそう言うと、子供たちは一層誇らしげな顔になった。マリアはその様子を、どこか不思議なものを見るような顔で眺めている。それから手の中のスコップを見ると、一大決心したようすでまた土を掘り始めた。
 今度は、どんな虫が出てきても悲鳴は上げなかった。さすがに素手では触れられず、スコップで掻き分けてはいたけれど。
 畝が三列終わる頃には慣れたらしく、収穫のスピードが子供たちに追いつき始めた。プリムがお茶の支度を終えて呼びに来たとき、もう籠はいっぱいになっていて、汗と泥でくたくたになったマリアもまた、少し誇らしげな顔で立っていた。



 帰路、お土産に持たされたジャガイモの袋はビリーが引き受けた。
「疲れたでしょ?」
「大丈夫です。普段から鍛えてるし」
「無理しないで。ギアの操縦と使う筋肉が違うからね」
 心得顔で言われて少し癪だったが、実際そのとおりなので仕方がない。迎えがくる予定の海岸まで、孤児院からは少し距離があり、いつもより歩調がゆるやかになっている。プリムに合わせているように、端から見たら見えるかもしれない。それもビリーの気遣いによるものだとわかり、マリアは少しむくれた。
 井戸から水をくんで、畑半分のジャガイモを全部あらって、お風呂を沸かして、作業着を洗濯して…日常の雑事のほとんどが自動化された都市に住んでいたマリアには、何もかもが初体験だった。手伝いに来たはずが、かえって子供たちに教えられたことのなんと多かったことか。
 一日で少し荒れてしまった手に、プリムがクリームを塗ってくれた。収穫を利用した料理がふんだんに振る舞われたので、空腹は満たされていたが、今度は身体がベッドを恋しがっている。
「ほんとに助かったよ。ありがとう」
 そう言うビリーの顔は、満面の笑顔という言葉がぴったり来る。マリアは少し眉根を寄せ、頭一つ高い位置にある彼の青い目を軽くにらんだ。
「…何か、面白がってませんか?」
「僕が?」
 とんでもない、と心外そうにビリーは答える。でも目はやはり笑ったままで、言葉を裏付けてはいない。
 今日一日で、彼女のたくさんの表情を見た。泥で汚れた手へのしかめっつらだったり、初めて見る植物への好奇心だったり、自分の用意した材料から作られた料理への誇りだったり―――地上で生活する子供たちが、当たり前に見せる表情ばかりだったけれど、それはとても新鮮にビリーの目に映った。
 ユグドラに詰めているときの、緊迫した彼女とはかけ離れて。
 ギアの上で見せるりりしい顔も、別に嫌いではなかったが、それでも今日のような年相応の顔を、また見せてほしいと思ってしまうのを止められない。
 だから。
「また手伝いに行ってくれると助かるよ」
 心底からそう頼むと、マリアは一瞬顔を顰めたが、やがてしぶしぶと言った様子で頷いた。きっと楽しんでくれたのだろうと、ビリーはまた嬉しくなって笑みを顔に上らせる。
 その顔をプリムがじっと見上げている。彼女もまた、兄のこんな笑顔を見るのは久しぶりだったのだが、そのことに二人は気づかなかった。


―――End 99/01/04






いや、なんだかマリアちゃんて土に触ったことなさそーだなーと…
…ちょっと無理があるか。
兄妹のようになってしまいましたが、こんな感じで良いでしょうか? ^_^;)




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