この日を、あなたに




 その日、聖地に予期せぬ来客があった。
 女王がロザリアへと交代し、宇宙の移動という一大事が行われて数週間。てんやわんやだった聖地でも、その後処理が徐々に減り、日の曜日のお茶をどうにか楽しめるようになっていた。
「ルヴァ様、お誕生日はどうしましょうか?」
 女王補佐官アンジェリークは、補佐官の館で催されたささやかなお茶会の席でそう尋ねた。普段の補佐官の制服とは異なり、白い清楚なワンピースで、年齢相応にかわいらしい。
 ちなみにこの少し前にあったゼフェルの誕生日は、書類に埋もれ報告の入り乱れる女王の宮殿で、それでもしっかりお祝いを行った。一堂に会するのが無理だった守護聖各人の執務室に、誕生日用の手作り料理を配って歩いたのはアンジェリークだ。多忙を極めながらの心尽くしに皆が心を和ませた。
「気が早いですねえ。まだ一月もあるんですよ」
「でも皆さん、まだお忙しいですから。早くから打ち合わせて予定をたてないと、ゼフェル様のときみたいにばたばたしちゃうと思って」
「あれも楽しかったけど、今度はもっと落ち着いて、ちゃんとお祝いをしましょうね」
 マルセルが提案すると、ランディが熱心に同意する。文句を言いながらお茶会に出席したゼフェルは、横を向いて大袈裟に馬鹿にしてみせた。だが実は自分の誕生日の祝いを結構喜んでいたので、今回も参加しようと密かに思っていたりした。
「あー、嬉しいですねえ。でも、そんなに大袈裟にしてくれなくてもいいんですよ」
 例によってのほほんとルヴァは応えた。いつもと変わらない落ち着いた表情。しかしこの時、彼の内心は、全く穏やかではなかったのである。
 アンジェリークは僅差でロザリアに破れたものの、試験の内容は決して劣るものではなかった。彼女が補佐官として聖地に残ることになったのは、新女王の懇請を受けてのことである。試験期間中に育んだ友情もさる事ながら、育成におけるアンジェリークの着眼点、ひらめきといったものが侮れないことをロザリアはよくわかっていたのだ。アンジェリークはぎりぎりまで迷っていたが、結局就任を受諾して聖地に残留した。守護聖達も皆、この愛らしい少女がそばにいることを喜び、その就任を祝福した。
 だが、誰よりも喜んでいるのは地の守護聖ルヴァだろうと、衆目の見解は一致していた。彼とアンジェリークは試験期間中から殊に親しく、日の曜日の予定は互いの独占契約となっていたからだ。だが端から見ているとお互いの心情はよくわかるのだが、当人同士がのんきすぎるためか、まだ特別な仲というわけではない。アンジェリークが補佐官となったこの期に及んでも「一番の仲良し」から抜けていないというので、オスカーやゼフェルあたりはじれったがっていた。だがこれが彼らのペースだと思って、一同はなんとか我慢している。
 ルヴァは確かに彼女の聖地残留を心から望んでいた。こうしてお茶の席で、彼女がルヴァのためにわざわざ用意してくれた日本茶を飲んでいるだけでも幸せだった。
 けれども、と、ここでルヴァは考えてしまう。おそらくは余計なことを。
「失礼いたします、補佐官様」
 館の侍女が、居間の入り口から遠慮がちに声をかけた。
「はい、なあに? お手伝いだったら大丈夫よ」
「いいえ、あの…お客様がおみえです」
「あら、どなたかしら」
 アンジェリークは首をかしげた。今日の招待客は全員この場にいる。不測の事態の呼び出しならば客などとは言わないだろう。では誰か守護聖の飛び入りだろうか。
「あの、それが…」
 年若い侍女は言いあぐねて、何度も廊下のほうを振り返る。その先はすぐ玄関だ。アンジェリークが立ち上がると、ルヴァが湯呑みをテーブルに置いてその手をとどめた。
「ルヴァ様?」
 不審そうに尋ねるアンジェリークに少し笑ってみせると、彼も立ち上がって戸口の侍女に声をかけた。
 館の主が思いもよらなかった一言。
「リモージュご夫妻がいらっしゃったんですね?」
「えっ…」
 アンジェリークも年少組三人も、耳にした名に固まってしまった。ひとりルヴァだけが淡々としている。
「本当は明日おみえになるはずだったのですが、予定を早めていらっしゃったのでしょうねえ」
「ルヴァ様!?」
「私がお呼びしたんですよ、アンジェリーク」
「な…」
 なぜ、と尋ねたかったが、言葉は喉の奥で固まってしまい、アンジェリークは瞬きを繰り返した。年少組たちの問いかけも置き去りにされる。玄関からの執事の静止を振り切って、壮年の紳士が部屋に飛び込んできたからだ。彼はアンジェリークの姿を見るなり、大袈裟に手を広げて彼女の名を呼んだ。
「…ほんとに」
 アンジェリークの瞳が零れんばかりに見開かれた。非礼を詫びつつも続いて紳士の後から顔を覗かせた婦人は、女王補佐官と同じ金の髪、緑の瞳。良く似た面ざしのその口もまた同じ名をつづる―――その時、アンジェリークの体がようやく動いた。
「お父さん、お母さん!」
 声と共にアンジェリークは二人に飛びついていく。呆然としている若い守護聖達の隣で、ルヴァは静かな表情のまま親子の対面を見つめていた。




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