この日を、あなたに<2>




「どーいうことだよおっさん!」
 そのままお茶会はお開きとなり、客たちはまとまって補佐官の館を辞した。それぞれの館までと供された馬車を全員が返してしまい、並んで歩くルヴァとゼフェルに一歩遅れてランディとマルセルが続いた。
「どういうって…ご夫妻は、私の館のほうにご招待したんですよ。明日の月の曜日に。もちろん、女王陛下には許可をいただきましたし。でも次元回廊の係員にはもう話を通してありましたから、今日来られても不思議は…」
「誰がんなこと聞いてんだよっ!」
 思い切り睨み付けてくるゼフェルは掴み掛からんばかりだ。ほとんど通る者もない道に声がこだまし、ランディとマルセルははらはらしながら二人を見守った。
「あいつにも無断で呼んだんだろ。何考えてんだよ。あれだけ悩んでやっと補佐官になるのを決めたってのに、今更親に会わせたりして」
「…ええ、本当に、今更なんですけどねえ」
 あくまで穏やかな口調を崩さないのがますますゼフェルの癇にさわる。だが視線をあらぬ方にそらしてしまうそぶりが、ルヴァの内心をわずかながら表していた。
「女王試験が始まってから今まで、聖地の時間が外界と全く同じだったことは知っているでしょう」
「…ああ」
 ゼフェルはむっつりとした顔のままで頷いた。
 女王試験の期間中時間の流れが同じなのは、いずれ聖地を去ることになるかもしれない女王候補に配慮してのことだ。今回終了後も引き続いてそのままだったのは、宇宙の移動という難事に際し、より細かく事態を把握するため。安定しない宇宙を早送り状態で支えることができなかったからである。
 約半年、聖地は外界と時間の流れを共にしていた。しかし宇宙は徐々に安定を取り戻している。あと少ししたら、以前と同じく、外とは異なる世界に戻って行くと思われていた。
「最後の機会なんですよ」
 一同の足はすっかり止まっていた。ルヴァは木立に隠れている補佐官の館のほうへと視線を投げた。
「最後?」
「ええ。―――今ならまだ、アンジェリークは外へ戻れるんです。家族のところへ」
 聞いている三人は目を見開いた。
「彼女の力は、宇宙の移動に当たってどうしても必要なものでしたから、今まで言わずに来たのですが…もう大事は乗り越えましたし、これだけ安定してくれば、彼女が外界に戻っても差し支えはないでしょう。でも、もし帰りたいと思ったとしても、決してそうは言わないでしょうから。ご両親に会わせれば、多分本心が出るのではないかと」
 ゼフェルたちは寝耳に水、という気分だった。彼らはもう、アンジェリークがずっと聖地にとどまることを既定のことと考えていたのである。彼女たちが来る前の聖地がどんな様子だったかすら、思い出すのが難しいほどなのに。
「ご両親を呼ぶことを事前に言えば、そうと察して来させないようにするのではないかと…それでいきなり呼ぶことにしたんです。もちろん、女王陛下にはご相談しました。陛下も賛成なさいましたよ」
 ロザリアはもちろん、アンジェリークの力欲しさに補佐官職を頼んだわけではない。サクリアがなくなるその日まで聖地を出ることの適わない女王にとって、親友であり片腕であるアンジェリークを失うことは身を切られるようにつらいことだった。だが「最後」にあたって、選択の余地を与えたいと思ったことは確かだ―――ロザリア自身、心のどこかで「外」を思うことは多かったからである。
 ゼフェルがこぶしを握り締めたのを見て、ランディとマルセルは慌てて左右から飛びついた。
「落ち着けよ、ゼフェル」
「るせえ、俺は落ち着いてる! こいつがバカなのがわりいんだ」
 左腕のマルセルがすぐ振りほどかれてしまったが、ゼフェルはルヴァに掴み掛かったりはしなかった。鋭い目の光がまともにルヴァの目をとらえる。
「おいルヴァ、てめえマジにそれ言ってんなら、今すぐ地の守護聖の名前返上しやがれ!」
「…ゼフェル」
「こんなふうにだまし討ちみたいにして親に会わせるのが、ほんとに正しいと思うのかよ。あいつがどんだけの覚悟でここに残ったかわかってんのか? 試すような真似しやがって、何様のつもりだよ、てめーは」
 ランディは自分から手を放した。ゼフェルはぱっと腕を引き、指先をルヴァに突きつけた。
「あいつは俺たちみたいに、まるで選ぶこともできないのと違って、どっちかを自分で選ばなきゃならねえんだ。自分で!」
「……」
「でもあいつは一度選んだんだ。いいか、ルヴァ、もう選んだ後なんだぞ。わかってんのかよっ!」
 選ぶというのは、この場合、どちらかを捨てるということに等しい。家族と学友、十七年を過ごした思い出のある外界と、親友と彼女にしか成せない仕事のある聖地とを比べ、悩んだ果てに彼女は聖地を選んだ。
 決意は固く、人々もまたアンジェリークを喜んで迎えた。けれど就任の式典の日、彼女がこっそり泣いていたことを皆が知っている。
「あんな思いを二度もさせんのか。どっちを選んだって、ぜってーあいつ、また泣くぞ。―――見損なったぜ」
 はき捨ててゼフェルはくるりと背を向けた。ランディとマルセルが慌ててその後を追っていく。ルヴァは視線を伏せたまま、そこに立ちすくんで動かなかった。
「…わかってます。わかってるんです、ゼフェル」
 やがて三人の後ろ姿が視界から消えたとき、ルヴァは小さくつぶやいた。
「わかってますけど、…それでも私は、確かめたいと思ったんですよ」


 明けた月の曜日、補佐官は宮殿に姿を現さなかった。噂はたちまち人々の間を駆け巡ったが、地の守護聖は執務室に半ば閉じこもったまま、外の騒ぎをやり過ごして人と会おうとしなかった。
 火の曜日。朝早く女王の元にアンジェリークが訪れ、人払いした席が設けられた。そして夕刻、謁見の間に集った守護聖達は、女王補佐官が任を解かれ、聖地から退出したことを知らされたのである。
 ルヴァの耳にそれはひどく遠く届いた。




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