ひとつの夜
<5>
―――SIGNAL―――





 ちびの間の記憶がほしいと、それはそれは切実にシグナルは願った。
 信彦たちとかくれんぼをしているときに、自分がアトランダムたちをみつけたのだという。大きい方に戻ったあとそう聞かされて、シグナルは面食らってしまった。二人を修理してもらえると決まり、エララは目尻に涙を浮かべて喜んでいた―――とは、先ほど一旦戻って来たクリスの話だ。
 だが感謝も歓喜もシグナルは覚えていない。エララの涙も、その笑顔も。確かに自分に向けられたのだろうそれは、今の自分の記憶から滑り落ちている。
 それを空虚とか不安とか、そんな風に感じている訳ではない。ただ、アトランダムたちが無事だった喜びをエララと共有したかったと、今はそれだけを心に思っている。


「あ、おっかえりー」
 リビング代わりの部屋に戻ったクリスとパルスを、どこか気の抜けたシグナルの声が出迎えた。明かりの落ちた部屋には彼一人だけで、いかにも所在なさそうにソファに寝転がっている。掛け時計の針は日付が変わるまでもう少しの位置を指していた。
「あんた一人なの?」
「信彦とマリエルはもう寝たよ。アトランダムが治るまでって、ずいぶん粘ってたけど」
「お前は休まないのか」
「僕はエララさんが帰るまで起きてる!」
 クッションを抱え込んで宣言し、シグナルは起き上がった。
「でもまだしばらくかかるわよ。それに、今日は研究室か、カシオペア博士の所に泊まるんじゃないかしら」
「でもさ、まだこっちの部屋と研究室と往復してるだろ。こっちに戻って来たとき、だれもいなかったら寂しいじゃないか」
「…寂しい、か」
 しみじみとした口調でパルスが繰り返した。
「何だよパルス、何か文句あるのか」
「いや、ないが」
 パルスを追い越しながら、クリスがシグナルをからかうように笑った。
「そのデリカシーを、他の人にも向けてくれりゃいいのにねえ」
「へーんだ。相手を選んでるだけだよーだ」
「…シグナル、その台詞、一度コードがいる前で言ってみろ」
「へ?」
 シグナルがきょとんとして問い返す。どうやらコードの筋金の入ったシスコンぶりを、まだ知る機会がないらしい。クリスも実際目にしたことはないが、修理の待ち時間にあれこれと話を聞かされていたため、シグナルも苦労しそうだと面白がっていた。
「明日は帰り支度で忙しいからね。とっとと寝なさいよ」
 クリスはそう言い置いて、自分の寝室へと姿を消した。パルスもそれに倣ってか、短くおやすみの挨拶をすると隣室に行ってしまった。今のところ特に休まずともよいシグナルは、ドアが閉まると、とたんに暇になってしまう。
 髪を盛大にソファの上に散らして寝転がると、シグナルは軽くため息をついた。頭の中をぐるぐるとこの何日かの出来事がめぐる。こんなに一つの物事をしつこく考えたことはなかった、と、トッカリタウンだけしか知らなかった頃のことを一緒に思い返しながら。
 今回の事件では、アトランダムにもコードにも様々に罵詈雑言を投げつけられたが、今は思い出しても腹が立たない。未熟だのおめでたいだのという言葉の裏に、自分より長く「生きて」きたロボットたちの年月があることを知ったからだ。
 人間と共に過ごしていくだけの知識を持って創り出されたとは言え、シグナルの実際の人生経験は一年にも満たない。もちろん、今抱え込んでいる、もてあましたくなるような「感情」の正体も知らない。人間が「外部からの有形無形の刺激に対して起こす自らの内的変化」についてつけた分類用語の数々は、知識として知ってはいても、自分のどの変化にどう当てはめたら良いのか、今でもよくはわからない。
 シグナルは少しため息を吐いた。それから、こんな動作も今までしたことがないと思った。―――こんな風に悩んだことがなかったから、だろうか?
(道具か道具じゃないか自分で決めろ)
 正信の言葉は今でも重い。けれど、信彦やロボットのみんなにとっての自分は道具ではない。まして「感情」をもてあますなんてことをしている以上、道具であるはずがないとも思うのだ。
 そして、今日垣間見たエララの強さ。
 妹たちの行動に戸惑いながらも、エララの態度は結局最後まで揺らぐことはなかった。子供たちを守りながら妹を思い、そしてあきらめずに立ち向かう―――それはおそらく、あのカシオペア博士の元で培われた心によるものだろう。
 道具だなんて、彼女は決して言わない。きっと。
(誰もいなかったら寂しいじゃないか)
 先ほど自分が口にした言葉を、もう一度頭の中で繰り返す。
「エララさんが、じゃなくって。…僕が寂しいんだよなあ」
 ふっと呟き、シグナルはクッションをかかえた。壁の掛け時計がかちりと音を立て、日付が変わったことを伝える。その音の大きさを今更ながら知った。
 こんな感情をアトランダムも知っているのだろう。そんなことを、電脳の何処かで考えて、シグナルは無理矢理瞼を閉じた。





BEFORE To Be Continued.



[ツインシグナル] [もの書きのページ] [ことのはのもり]