ひとつの夜
<4>
―――PULSE―――





 いつでも、クリスと話すときのペースは変わらない。
 戦闘型として作られて今日までの戦いが、すべて小競り合いの一言で済まされてしまうような敵。その脅威の只中、ただ守るだけではない存在としての彼女と共にあった。お互いに勤めを果たし、今は戦いも終わった。最後の懸念だった二体のロボット―――人間たちは二人と言うのだが、とにかく彼らの安否も確認された今、戦闘型の役目はなくなったことになる。
 こまめに休眠を取ってエネルギーは貯えたが、それでも疲労は大きい。だがなぜか、クリスが働いているときに休むわけには行かないような気がして、いつもなら断るような雑事も引き受けてしまっていた。
 変わらぬ戯れの悪態とささやかな口喧嘩が、パルスを日常へと連れ戻す。だから結局いつもと同じ表情で、何一つ気負うことなど無いかのようにアトランダムとユーロパに会えた。
 最後に展望台に向かうと言い出したクリスに付き合ったのは、どういう風の吹き回しなのか、さすがに自分でもよくわからなかったが。


「あー、やっぱ結構涼しいわねえ」
 言いながら伸びをして、クリスはくるりと彼を振り返った。
「あんたもせっかく着いてきたんなら、はね伸ばしなさいよ」
「何を言ってる。すぐ戻るぞ」
「なによ、せっかく言ってあげてるのに。これくらい遊ぶ権利くらいあるわよ」
 またパルスにくるりと背を向ける、その足取りは疲れているはずなのに軽い。空に向かって深呼吸して、クリスは思い切り息をついた。パルスが隣に立つと、今度は後ろに転がるように足を伸ばして座る。その表情が余りに開放感にあふれていたので、パルスは少し皮肉めいたことを言ってみた。
「のんきだな。今ごろ教授たちは大変だろうに」
「…あのねえ」
 とたんに脱力して、クリスは座った姿勢のままパルスをにらんだ。
「記憶領域とか感情や人格プログラムのチェックのときは、実際の製作者とか普段からメンテしてる人以外は、なるべく立ち会わないのが礼儀なの。あんた10年も稼動してて知らないの?」
「…そうなのか?」
 パルスは人格プログラムを改変された経験の持ち主だ。だが考えてみると、普段の研究所―――アトランダム本部でも音井研究所でも、ソフトのメンテの場合は、大体いつも最小限の人数だった気がする。
「そうでしょ。あんたとかシグナルのときはあたしも手伝うけどね、普段やってるから。カルマやユーロパは、あたしに頭の中見られるのは嫌でしょ」
「私も、好きこのんで見られているわけではないが」
 そうつぶやいた途端、予期せぬ沈黙が一瞬だけ降りて、言い返されると思っていたパルスは怪訝そうにクリスを見た。だが、気を取り直したような言葉がすぐにクリスの口から飛び出した。
「そりゃわかってるわよ。でも修理やらチェックやらしなくちゃならない事態ってのがあるでしょ? そういうときはなるべく本人を知ってる人間がやるのよ。それにそこらへんのデリケートなチェックは、あたしがやるときでも必ず若先生とか教授が立ち会うでしょ? それも礼儀よね」
 見下ろす格好で話しつづけるのが気になって、パルスはクリスの隣に腰を下ろした。
「お前の場合は腕が不安なんじゃないのか」
「そーいう簡単に読めるつっこみはやめなさいっつーのよ! …まあ普通のメンテナンスなら、実際に見たところで数字と記号の羅列だから、何をして何を考えてっていうのがわかる訳じゃないんだけどね」
 クリスはふとため息を吐いた。
「まあ、ユーロパは大事にならなかったみたいでよかったわ」
「そうなのか?」
「あ、聞いてない? 基本的な人格プログラムはいじられてないみたいだから、あんたやシグナルの方がバグがひどいくらいだって。しばらくは記憶の齟齬があるかもって話だけど」
 湿った風がわずかに冷気を運んできて、クリスは少しひざを縮めた。
「あれだけやられちゃうとね。人間不信が一番心配。…あたし、何にもできないしねえ」
「まあ、済んだことだ。カシオペア博士もついていることだしな。お前が心配しても仕方ないだろう」
「そうだけど…」
「他に、何か気がかりでもあるのか?」
 また小さいため息。彼女には似合わないような気がして、パルスは軽く眉根を寄せる。
「お前には今回のことは関わりがないだろう」
「…んー」
 赤い瞳から視線を逸らし、空を仰いだ。
「アトランダムがね、人間だからって、あたしのことまでいっしょくたにして見るから。何かね」
 天に向かってため息をついて、クリスはパルスの顔を見上げる。
「あんただって今、あたしに見られるのはいやだって言ったでしょ? だからね、なんていうか…ちょっと自分が中途半端な感じでね」
 クリスとこんな会話をするのは初めてで、パルスは彼女の顔を改めて見直した。夜の光しかないが、彼女が少し暗い表情をしていることはなんとなくわかる。
 それでも何故か、出てくるのは憎まれ口だ。下手な励ましよりも、こちらの方が彼女には似合う。
「昔のエプシロンとか、いろいろ前科もあることだしな」
 これを言われるとクリスは弱い。とたんに怒ったような顔になって言い返してくる。
「―――確かにあれは失敗だったけど! 利用してぽいなんて、考えてもいなかったわよっ」
「それはそうだ」
 パルスは喉の奥で笑った。
「改造したエプシロンは、マリエルの太鼓判付きのロボットだろう」
「それが何?」
 まだむくれているクリスに、パルスは少しだけ穏やかな顔を見せた。
「―――少なくともお前は、クエーサー博士のようにはならないだろう。私たちを、ただロボットとして扱いはしないからな」
「パルス…」
 まじまじと見詰められ、パルスはふいと笑った。
「それ以前に、クエーサー博士並みの腕がないことだし」
「あんたそれがいつも余計なのよっ!」
「いわれたくなければ腕を磨くことだ」
 クリスはいきなり立ち上がり、指をパルスの鼻先に突きつけた。
「音井教授だってカシオペア博士だって、生まれつき天才だった訳じゃないんだからね。天才美乙女のあたしにできない訳ないでしょ。腕はいくらでも上げられるんだから、見てらっしゃい!」
「楽しみにしていよう」
 パルスの声を置き去りにして、クリスはもう体を翻している。最近の自分はどうしていつも彼女の背中ばかり見ているのかと、パルスは首をかしげたい気持ちで後を追った。





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