呼ぶ声
<1>






 シェバトを発って数日、珍しく戦闘の無かったその日。夕食後、常ならばにぎやかな喧燥に満ちているユグドラシルで、ちょっとした事件が発生した。
 いつもならばその時間はガンルームに集うのが仕事の無い乗員たちの習慣だったが、この日は人影がまばらだった。一般の乗組員たちは、入ってきてもただならぬ雰囲気に驚いてそそくさと出ていってしまう。理由はレンマーツォの搭乗者にあった。仲間たちが周囲で見守る中、ガンルームの広い机に盛大に頭を突っ伏させて、ビリーは誰がどこから見ても落ち込んでいた。
 常に他人に弱みを見せることを嫌う、沈着冷静を心がける彼のそんな姿を心配して、訪れた者たちがあれこれと話し掛ける。だがビリーは押し黙ったまま、うつむいて頬杖をついていた。
「ビリーさん、どうなさったんですか」
 尋ねて答えが得られず、ようやくユグドラシルに馴れ始めたばかりのマリアが、困惑して周囲を見回す。だが返答できる者がなかった。フェイとエリィが首を横に振り、シグルドもそれにならう。バルトとシタンは最後に到着したので分かるはずもなかった。
「あの、ビリー様。マルー様と何かあったのでございましょうか」
 ずっとバーカウンターにいたメイソンが、おそるおそる近づいて来て尋ねた。
「なんだって? マルー?」
 思いがけず出た名前に反応してバルトが聞き返す。そう言えば、いつも食後のお茶をここで飲むのを楽しみにしている従妹が顔を見せていない。
「先ほど、プリム様とご一緒にいらしていたのですよ。ですがビリー様がおいでになってすぐ、お二人で出ていってしまわれて…」
「何だと?」
「それからお元気が無い様ですので」
 バルトの目に剣呑な光が浮かんだ。
「おいこら、ビリー。お前、何かあいつに余計なこと言ったんじゃないだろうな」
「……何も言ってないよ」
 ここでようやく、ビリーはため息をつきつつ顔を上げた。
「別に、マルーさんが何かしたわけでもないし。いつもと同じだよ」
「……嘘付け」
 この少年司祭は元々色白だが、その顔色が白を通り越して青くなっているのを見て、バルトは語勢を和らげた。シタンが眉をひそめる。
「ビリー、体の具合でも良くないんですか?」
「いいえ、先生。そんなことは」
「じゃあ、プリムちゃんと何かあったのですか?」
 ずばりと聞いたのはマリアだ。これは図星に当たった。ビリーはせっかく上げた顔をまたうつむけて片手で覆い、視線だけをマリアになげた。
「……聞かないでくれるとありがたいですね」
「なんだ。また妹かよ」
 フェイの制止が一瞬及ばず、あきれたようなバルトの声が響いた。瞬間跳ね起きたビリーの右手に銃が光るのを見て、エリィとマリアが小さく悲鳴を上げ、シグルドとメイソンが慌てて間に割って入る。
「ビリー、落ち着け」
「ビリー様、落ち着いて」
「落ち着いてますっ! 撃ったりしません!」
 見れば撃鉄は起こされていない。だがバルトににじり寄る彼の目は、本気の怒りをたたえていた。さすがのバルトも一歩後ずさる。
「な、なんだよお前」
「………」
 普段の毒舌は鳴りを潜めていたが、その分ビリーの視線は苛烈な光を帯びている。だが再度シグルドが割って入ると、自分の過剰反応に気づいたのか、ふっと視線を伏せて腕を下ろした。にわかに緊張が解け、一同もまたほっと息をつく。
「あの、私が余計なことを言ったから…」
 マリアがおそるおそる進み出ると、ビリーはみっともないところを見せたと思ったのか、急いで銃を仕舞い込んだ。
「いえ、こちらこそ、ごめんなさい。…ただの八つ当たり、だから」
「八つ当たり!? 俺は八つ当たりで銃を向けられたのか!?」
 バルトが立ち直って怒鳴ると、ビリーは今度は指を突きつけてにらんだ。
「向けてない! 第一、君のは八つ当たりじゃない! こっちの気も知らないで余計なことばっかり言うくせに、偉そうにわめかないでよね」
「何だと!?」
 今度はバルトも正面から張り合い、隻眼で睨み返した。また空気が膠着しそうになり、フェイとシタンがあきれつつ、急いで二人を引き剥がす。
 少女の柔らかい声が響いたのはその時だった。
「…あの、何かあったの?」
 いつのまに来ていたのか、マルーが困惑した顔で二人を交互に見ている。
「マルー」
「マルーさん」
 男二人がぴったりと動きを止めた。彼らが双方ともこの少女にとても弱いということは、ユグドラシル乗員に知れ渡っているところである。ただ、弱い理由は二人それぞれに異なっていたが。
「喧嘩してるの?」
 その声があまりに気遣わしげだったので、ビリーは再度慌てて場を取り繕った―――否、取り繕おうとした。
「いえ、何もありません。ただこの馬鹿が余計なことを言っただけで」
「馬鹿ってななんだ馬鹿ってのは!」
 今度は完璧にバルトを無視し、ビリーはマルーににっこりと笑ってみせた。それは少し痛々しい笑顔で、マルーの表情はかえって曇ってしまう。
「先ほどはごめんなさい、みっともないところを見せてしまって」
「ううん、そんなことないよ」
 ぶんぶんと首を振って、マルーはビリーの言葉を一生懸命に否定した。やっぱりマルーが原因だったのかと思いつつも、周囲の一同は訳が分からず、聖職者二人の会話を見守っている。
「プリムはどうしてます?」
「うん、もうベッドに入ってる。チュチュも一緒だよ。それでね、あの…ちょっと二人で話がしたいんだけど。良いかな」
「…ええ、僕はかまいませんが」
 こっちはかまうだろうな、とビリーが横目で見るより早く、傍らの人物がずいっと前に進み出た。
「駄目だっ!」
「若?」
 きょとんとしてマルーは従兄を見上げる。非常にかわいらしいそのしぐさを、幸いと言おうか勿体無いと言おうか、堪能する精神的余裕がバルトにはなかった。
「何で駄目なの?」
 実に素直に聞き返されて返答に詰まるバルトを、最年少のマリアまでが気の毒そうに見やった。
 マルーとビリーは同い年である。その為か、聖職者同士という考えもあってか、マルーはビリーにかなり気を許していた。ビリーの方でも、この素直で優しい少女に好意を持ち、妹が世話になっていることもあって、よく親しく会話していた。時には長く宗教上のことを話し込んだりもする。最近ではマリアがそれに加わることもあるが、彼女が不参加のときに最後まで話し続けられたためしがない。バルトがとにかく乱入してくるからである。
 ビリーは一度でその理由を悟った。誰が見てもやきもちである。だが当のマルーは、反りの合わない相手として、バルトがビリーに突っかかっているだけだと思っていた。
 今もマルーには、反対されている理由がまるでわかっていない。これは彼女が僕をそう言う対象として見てないためだけど、バルトにはわかってないなあ、とビリーは焦る彼を眺めながら至極冷静に判断している。
「なんでって、とにかく駄目だったら駄目だ。話ならここでだってできるだろうが」
「ううん、みんなのいるところじゃ駄目なの」
「…とにかく時間だって遅いし!」
「いつもならまだお茶の時間だよ?」
「だからなああああっ」
 二人のやり取りを見ているうちに、頭に血が上ってしまっているバルトとは逆に、ビリーは精神的余裕を取り戻していた。たまたま視線のかち合ったマリアに少し笑ってみせると、バルトが頭を抱えているすきに会話に割って入った。
「マルーさん、急ぎの話じゃありませんよね」
「…うん」
 返ってきたのは肯定だったが、その目が自分のことを案じているのにビリーは気づいていた。だが敢えてそのことには触れず、努めて明るい表情を作る。そう、おそらく自分以外の人間には大したことではないのだ。本来はマルーが気に病むことなどないはずの。
「それでは明日、晴れていたら甲板の上で話しましょう。出ても良いよね、シグ兄ちゃん?」
「ああ、今は高度も低いから…安全が確認されたらな」
 マルーの無警戒とバルトの過剰反応、双方に苦笑していたシグルドは、助け船の形の申し出にうなずいた。マルーはバルトとシグルドとビリーの顔を一渡り見回して首をかしげている。エリィとシタンは少々感心していた。特に純粋培養で育ってきたわけでもないのに、この鈍さは見事と言えようか。
 自分以外のことには聡いのに、とマリアは少々不思議な気分でニサンの大教母を見つめた。彼女がユグドラシルに乗艦して以来、陰に日に気遣ってくれた少女であるのに。
「さ、ではお茶にしましょう」
 いつの間に場を離れていたのか、絶妙なタイミングでメイソンはトレイを運んできた。柔らかいお茶の香りに、膠着した空気がほぐれ、最後にバルトが機嫌を直すまでに大した時間はかからなかった。



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