呼ぶ声
<2>






 ビリーが甲板の上を待ち合わせ場所に指定したのは、ここならば二人きりになれるが、同時にどうやっても二人きりになれないからである。
 現在ユグドラシルは上空はるかの高みを飛んでいる。バベルタワーの頂上やシェバトより低いとは言え、当然ながら気流は荒いし気温も相当低い。しかし甲板の上には必ず人がいる。シェバトで加わったゼプツェンの新規担当となった整備士たちが、新しいおもちゃを与えられた子供さながら、この新ギアのまわりをうろちょろしているのである。
 ビリーとマルーは、一応上着を用意して、甲板からデッキに上がって行った。デッキ付近にいる限り、ゼプツェンのある場所までは遠すぎて声が届かない。だが見通しは良いので、不埒なまねなど出来ようはずも無い。
「…って、ビリーさんはおっしゃってましたけど。バルトさん?」
「頼む、マリア。ちょっとでいいからさ」
 ギアの格納庫から甲板に上がるはしごの下で、バルトがマリアを拝み倒していた。フェイとエリィがヘイムダルを見上げる手すりに並んで腰掛け、呆れ返って眺めている。
「そんなに気になるんでしたら、デッキまで行かれればいいじゃないですか」
「べ、別に気になんかしてねえよ」
「とにかく、私のゼプツェンを覗きに使うなんて、絶対駄目ですっ!」
 断固としてマリアが言い張るので、バルトはそれ以上頼めなくなってしまった。
 昨日は一旦引き下がったものの、朝食の後に誘い合わせているビリーとマルーを見たら、にわかに苛立ちがぶり返してきたのである。みっともないと思いながらも、二人が気になって仕方が無い。それでもしばらくは我慢していたのだが、艦長の落ち着きのなさを見かねた副艦長がブリッジから彼を追い出すに及び、待つのをやめることにしてしまった。
 だが素直に甲板には上がれない。甲板からデッキを見通せる代わりに、デッキから甲板を見渡すのも簡単なのだ。常日頃甲板に上がらないバルトが今日に限って行ったりしたら、ビリーにもマルーにも目的が一目瞭然でバツが悪い。そこで思い付いたのがゼプツェンのコックピットである。だがその主は見事に頑固で、バルトの依頼を頭から撥ね付けた。
 うなっているバルトを見かねて、フェイが手すりから降りてなだめにかかる。
「もうちょっと待ってろって。寒いからすぐ戻ってくるよ。それに、そんなにいちいち心配するようなことじゃないだろう?」
「別に心配なんかしてねえって!」
「だったらいいじゃないか。お前だって、そんな理由で自分のギアに他人が乗ったらいやだろ」
「う。…それは」
 バルトは言葉に詰まった。ちらりと横目で見やると、エリィとマリアが顔を見合わせて笑っているのがわかって、少しむっとした―――が、笑われるだけのことをしているとわかっていたので、言い訳をするのをあきらめた。
 正直なところ。
「…よくわからねーんだよなあ」
「は? 何が?」
「いや。だから、なんでこんなにいちいちビリーに腹が立つのか、よくわからねーんだ」
 ギア格納庫のシャッターにもたれてバルトは頭を掻く。聞いている三人はまじまじとその表情を見詰めた。言い逃れかと思ったのだ。だが、バルトは至極真剣な顔で、屋根越しにデッキの方を振り仰いでいる。
「マルーがシャーカーンに捕まったときもやっぱり心配だったし腹が立ったけどさ、なんか、それとは違うんだよな。ビリーはまあ、いけすかねえけど、別にそんなに悪い奴じゃねえし」
「……」
 いくらなんでもシャーカーンと比べるのはあんまりだと思ったが、エリィとマリアはあきれてしまって言葉が出なかった。
 わかってない?
「…おい。あれだけ邪魔しに行ってて、わかってないのか?」
 かろうじて声を出せたフェイが、脱力しながらもなんとか尋ねた。マリアはシェバトからこれまでの数日間で、バルトがビリーとマルーの間に割って入る光景を何度目撃したか数えてみた。出会い頭から邪魔してたくせに、とはエリィの回想である。
「んー。どうも、体が先に動いてな。あんまり理由を考えたことがねえ」
「考えろよっ」
「あーでも、ビリーの奴が、プリムが親父さんに懐いてると怒るだろ。あれと似たようなもんかと思ってるけど…おい、フェイ?」
 フェイは本格的に頭を抱え込んでしまった。マリアとエリィにもフェイの心境は良く分かる。ビリーが仲間に加わってはや一ヵ月以上。その間延々とこれだけの騒ぎを繰り広げておいて、自分の行動の原因がわかっていないとは。
(…鈍いどころの騒ぎじゃないわ)
 エリィは軽くため息をついた。ここまで無自覚というのもいっそ立派かもしれない。
 今ごろデッキの上にいるだろう二人をいささか可哀相に思いながら、マリアがバルトをまじまじと見た。
「つまり、兄の心境とおっしゃりたいんですか?」
「それだなあ、多分」
 マルーは妹みたいなもんだし、と勝手に納得しているバルトの背後から、至極冷静な声がびしりと響いた。
「でも妹じゃないでしょ?」
 バルトは一瞬動きを止め、思いがけないことを言われた時の顔で、その声の主であるエリィを見た。エリィは腕組みして、怒ったようにバルトを見返した。
 昨日はマルーが鈍いと思ったが、それはおそらく違う。バルト本人ですら自覚していない思いを、あの他人のことばかり案じて、自分のことを後回しにしがちな少女に感じ取れという方が無理なのだ。新参者としてユグドラに乗った自分を、最初に信じてくれたマルーを思って、エリィは少々意地の悪い気分になっている。
「あなたはマルーのこと、仲間だとか幼なじみだって言うし、マルーはマルーで自分のことを一の子分だなんて言ってるけど。それだけなら、ここまで気にすることないでしょ?」
「それだけってことはねえよ。従兄妹だし、昔からずっと一緒にいた同士だしな」
 やはりずれている返答に、エリィは少しじれったくなって食い下がった。
「だから、それだけなの?」
「なんだよ、エリィ。やけにしつこいな」
 バルトは苦笑しかけた。が、エリィの視線の有無を言わせぬ強さを受けて、もう一度考えを巡らせ、頭を掻きかき言葉を捜した。
「…それだけって言われたらそれまでだけどな。別に間違ってねえと思うけど。アヴェでもニサンでもユグドラでも、兄妹並みに一緒にいたと思うし…」
 珍しく、言いさしてバルトは口篭もった。
 マルーと自分の間柄をさす言葉ならいくらでも思い付く。だが、どこかおかしい。自分で口にしている単語が、自分の心情をちゃんと表しているものではない気がする。それどころか、言えば言うほど、本音から遠ざかっていってしまうような。
 本音。そう、本音は何だった?
 三人からの視線にかまわず、バルトはそのまま腕組みをして考え込んでしまった。仲間、同士、妹―――ビリーが来るまで、こんな風に自分が怒りっぽくなったころまでは、その言葉たちは正しかったはずなのに。
 いや、今でもそれは正しい。でも、…なんだろう。それだけじゃない、ような気がする。
「バルト?」
 言いかけたまま黙り込んでしまった友人の顔をフェイが覗き込んだ。バルトはわずかの間沈黙を返し、それから思い切ったようにうなずいて顔を上げた。
「おし、決めた。部屋に戻る」
「おい、バルト」
 態度の急変に戸惑うフェイを置いて、バルトはシャッターから体を起こした。
「とにかくひとりで考えてみらあ。このまんま上に行ってビリーに喧嘩売ったんじゃ、それこそ八つ当たりだからな」
 人のこと言えねえや、とわずかに反省する向きを見せる。それがどこまで続くか疑わしいが。
「ちょっと、バルト?」
「話の途中で悪いな、エリィ。マリアも、騒がせて悪かったな」
 決めてしまえば行動は早い。呼び止める間もあらばこそ、バルトはそのままダッシュで格納庫を突っ切って行ってしまった。遠巻きにしていた整備員たちが何事かと見送るがおかまいなしである。
 残された三人は、その後ろ姿がドアの向こうに消えるまで見送ると、大仰にため息を吐いてから苦笑しあった。
「まさか、わかってなかったとはね」
「ほんとに自分で気がつくかしら」
「さあ。あと一歩ってところなんじゃないのか?」
 これまたカップルと目されながら、やはりまだそこまで行っていない二人がしみじみと語り合う。マリアがちょっと肩をすくめて笑った。
「なんだか、ビリーさんもマルーさんも大変ですね」
「―――まったくですね」
「わあ!?」
 あらぬ方から声が降ってきて、三人は驚いて声の方を見上げた。無人だとばかり思っていたヘイムダルのコクピットからシタンが顔をのぞかせ、これまた苦笑を浮かべながら身軽に降りて来る。
「先生、いたんですか」
「コントロールのチェックをしてたら、後からあなた方が来たんですよ。明日にはニサンに着くというのに、余裕ですね」
「これからチェックするよ」
 からかいを含んだ言葉にフェイが言い返す。彼とエリィは元々バルトに付き合っていた訳ではない。ギアのチェックを手伝おうと思って格納庫に来たら、バルトがマリアに頼みごとをしているところに鉢合わせしただけなのだ。
「なるほど。艦長殿が一番余裕ですね」
 当事者なのに、と咎めるでもなくシタンは笑った。
「あれも余裕っていうのかな」
「そうでしょう。夕べなんかは、ビリー君の方が余裕がなかったように思いますね」
「え?」
 フェイがきょとんとした表情を返す。今度はあきれて、シタンがため息をついた。
「あなた方、この騒ぎの発端が何だったか忘れてますね?」
 言われて、ようやく三人は昨日のビリーのことを思い返した。
 色をなくすほど取り乱した少年の姿。途中でバルトの乱入があったので話がそれたが、確かにビリーが妹のことで落胆していたことがそもそもの始まりだった。彼のプリムへの献身ぶり、マルーがわざわざ二人でと限定するような話題を合わせて考えれば、現在のビリーが何か悩みを抱えているのは確かだ。浮かれている場合ではなかったか。
「あ、でもね、私は今はあまり心配してないんですよ」
 ちょっとしゅんとしてしまった三人の上を、のんきなシタンの声が流れる。
「…どっちなんだよ、先生」
「いえ、昨日は心配でしたけどね。今はマルーさんがいますから」
 シタンはにこやかな表情で、デッキの方向を指差した。
「マルーさんは、ああいう対人関係では頼りになる人ですからね。下手に私やシグルドなんかが口を出すより、よほどビリー君のためになってくれるでしょう。…まあ、若くんには面白くないでしょうけれどね」
 付け足された最後の言葉が実に楽しそうだったので、エリィとマリアはうなずきながらも、今ユグドラで一番余裕があるのはシタンだと確信した。
「…バルト、どれくらい我慢してられるかな」
 フェイが至極まじめな顔でつぶやいた。エリィがヴィエルジェに足を向けながら肩を竦める。
「あの調子だと、あまり長くもたないんじゃない?」
 元々「部屋でじっと考え事」など似合わない人物である。
 このエリィの予想は大当たりだった。この後ちょっとした調整を終えたシタンが様子を見に行くと、艦長室はすでにもぬけのからになっていた。
 バルトがギア格納庫を去ってから、ここまで約三十分。
「…ビリー君たち、話が終わってればいいんですけどねえ」
 ぼやきつつ、シタンは足をガンルームに向けた。



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