ずっとずっと



 幻海が戸愚呂弟に殺されたことを、至極当然のことながらコエンマは知っていた。運命として前々からほぼ決まっていたことでもあり、また数百年に及ぶ長い経験からも、彼はうろたえたりしなかった。
 けれども。霊界案内業を命じた部下にもその態度を真似ろというのは、無理な注文だったらしい。
「―――いいかげんに泣きやめと言うとろーがっ!」
「だって、コエンマ様あ」
 首縊島のホテルのロイヤルスイートに呼び出されたぼたんは、そこに霊体の幻海がいるのを見て、改めて絶句してしまった。仕事用の和服で、ちゃんと櫂も携えていたが、心構えは全くできていなかった。コエンマが仕事に市場を交えるのを許さないことも、案内人がそんな状態では死者が落ち着けないこともわかっている。だが、今回は特別だった。人間界バージョンでマントをいらいらと引っ張りながら、コエンマはもう何度目かわからない命令を繰り返した。
「とにかく、三途の川まで送れ。それだけで良い。霊界審判は決勝の後だから、おまえはもう一度は会えるのだぞ。幽助のことも考えてみろ、師匠が死んで成仏できないなんぞと言ったら」
「だって、幻海師範が何したっていうんですか」
「別に何も悪いことをしていなくったって死ぬときは死ぬ。当然の話だろうが」
「でもあたし悔しいですっ」
 これがほとんどエンドレスである。泣いて泣いて泣きじゃくって、鼻も目も真っ赤だ。コエンマは天を仰いで嘆息した。ぼたんの性格からして、悲しむなというほうが無理なのだから。どうして霊界案内人を続けていられるのか、不思議なほどだ。
 幻海が横目でコエンマに合図し、部屋から消えた。ぼたんが落ち着くまで、静流のところに挨拶に行くとのことで、案内される側のほうがよほど冷静である。
 コエンマはぼたんに泣かれるのが苦手だった。だから、探偵助手なら人間の死に触れることが少ないと思って、特に彼女をその役目につけたのだ。けれど、暗黒武術会の件に関してはまったく見込み違いだった。
 戸愚呂弟がコエンマに、幻海の遺体を保存するよう依頼したことを、ぼたんは知らない。話せば多少は気分が浮上するかと思うが、霊界のルールに反していることをおおっぴらにするわけにもいかないだろう。コエンマの一存で決めたことであるので、父親に事前に知れてもまずい。
「幻海の死期は前から教えてあったろうに」
「そんなの、すっかり忘れてましたっ」
 だろうなあと、コエンマは妙に納得してしまった。ぼたんは泣き止みそうにない。だが、いつまでも幻海を霊体のまま放っては置けない。
 コエンマは切り札を出した。
「―――わかった。では、他の者に頼む」
「え!? そんなコエンマ様、そんなのないです」
「だったらさっさと泣き止んで、幻海を案内してこい!」
 他の者にも出来るのに、敢えて指名された理由が分からないほど、ぼたんは鈍くはなかった。すっかりぬれてしまった着物の袖で頬をこすり、いつもの十分の一も元気のない様子で櫂に座る。窓の外に霊体の幻海が戻ってきて、ぼたんを待っていた。
「それじゃコエンマ様、行ってきます…」
 小さく挨拶した声から、コエンマは、ぼたんがまだまだ泣き足りないことを察したが、敢えて顔に出さず、追い払うように手を振った。窓から姿が見えなくなると、やれやれとため息をつく。死者の管理という役目柄、部下には厳しくしなくてはならないのだが、ぼたんが相手だと甘くなってしまう。
「この分では…なあ」
 決勝戦の後のことを考えると気が重くなる。戦った末に来る運命は、霊界にも分からない。人間には、予測も出来ないパワーがあるからである。病気や事故と行った絶望的な状況を、精神で覆してしまうことすらあるくらいなのだから。
 幽助ならばなおのこと、希望は持てる。だが、全員生き残れる確率は、はっきり言って低い。わからないのも善し悪しだと思う。わかっていればかえって、自分も心構えくらいはできるのだが。
 人間界まで追いかけてきた書類の山が、コエンマの決済を待っている。これらはすべて、彼と関わったことの無い者の記録だ。記載に誤りがないかチェックし、審判に備える、それだけのことに私情の交えようはない。
 けれども。この山に、浦飯チームのメンバーのものが加えられるのは、たまらない気がする。
「…いかんな。これでは、ぼたんと同じだ」
 ぶん、と頭を振って、コエンマは気を取り直し、幽助のところに向かった。試合はもう明日だ。幻海が殺された現場に座り込んだきりでいる彼に、故人の伝言を伝えて、しゃきっとさせなくてはならなかった。
 そして彼は、幻海の代理という、幽助からの依頼を引き受けることにした。
 幽助のため、幻海のため、左京の野望を砕くため。それがもちろん、一番気にかかることだ。けれども、心のどこかを別のものが占めていることに、コエンマはちゃんと気がついていた。


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