ずっとずっと<2>



 ぼたんは夜になってから帰ってきた。ホテルで仕事をしながらずっと外を窺っていたコエンマは、星空の中に彼女の姿が浮かぶと、急いで窓を開けて出迎えた。
「遅くなってすいませんでした」
 窓から部屋に入り、硬い声でぼたんが頭を下げた。普通ならこんなに時間がかかるわけはないのだ。散歩で気を紛らわせていたのだろうと思い、コエンマは咎めだてはしなかった。ぼたんの頬に涙の後はない。ただ、その表情が、ひどくこわばってはいたけれど。
「ちゃんと送って来たか?」
「はい。あたし、泣きませんでしたよっ」
「ああ、わかっとる」
 仕事であればぼたんは意地を通す。その点、コエンマは信用していた。
 けれど、今はもう、仕事は終わったわけだから。
「ご苦労だったな、ぼたん」
 コエンマは上司の顔をやめ、優しい表情で彼女をねぎらった。人間界バージョンはこういう時便利だと思う。怒るとこちらのほうが恐い、などとぼたんは言ったが。
 気が抜けて泣き出してしまった彼女を、抱きしめてあげることもできるから。
 ぼたんはコエンマにしがみつき、先ほどよりずっと激しく泣きじゃくった。途切れがちな言葉が訴える。
「あたし、もう厭です」
「……ああ」
「もう厭です、コエンマ様」
「…わかっとる」
 ワシも同じだ、と、コエンマは心の中で付け加えた。明日、もし今日以上の悲しみを味わうことになったら、と。考えたくもないことだったが、どうしても思考がそちらを向いてしまう。もとより、人間の寿命は短すぎて、霊界人の前にいてくれるのは一瞬だが。
 気休めはきかない。後は彼らを信じる以外、出来ることは何もない。
 震える背をゆっくり叩いていた手がふと止まった。コエンマはまた、少しだけ「上司」の顔になって、抱いている手をゆるめた。
「なあ、ぼたん」
「…なんですか」
「幽助たちが優勝したら、宴会をやらんか?」
「…は!?」
 唐突に言われて、ぼたんはびっくりして顔を上げた。ついでに涙も止まったのを見て、コエンマは内心で微笑しながら語を接いだ。
「ワシは霊界の仕事をほとんどほっぽり出して来ておるのでな、武術会が終わったらしばらく休みが取れん。大酒のみが多くそろってることだし、戻る前に少しくらいは構わんだろう。霊界の一級酒を持ってきて」
「…はいっ」
 ぼたんは勢い良く頷いてみせた。
「いいですねえ、やりましょう。約束ですよ」
 元々、落ち込むよりは励まし役のほうなのだ。励まされっぱなしは性に合わない。ガッツポーズを作って、まだぬれたままの頬に笑顔を無理矢理刻む。…不謹慎ではあるのだが、コエンマはその顔が、とてもかわいい、などと思ってしまった。
 自分が今おしゃぶりをくわえていなくてはならないことを、なんとなく残念に感じながら、コエンマは霊界の後継者の態度に戻った。
「ほれほれ、顔を洗って。そんなに瞼を腫らしたままでは、螢子ちゃんたちが心配するぞ」
「え、やだ、そんなに腫れてますか?」
 ぼたんは洗面所に駆け込んだ。大袈裟な悲鳴と一緒に水の音が響いてきて、コエンマはほっと息をつく。
 たとえ立ち直っていなくても、散々泣いた後に立ち直った振りが出来れば、大丈夫だ。
「あと、は…」
 コエンマは窓の外を見上げた。闇に浮かぶ満天の星たち。闘技場の周囲は喧騒に満ちているのに、空はひっそりと静かだ。
「あとは、明日」
 どうか、みんな生きていてくれるように。
 神という者の非情さを、誰よりも良く知る存在でありながら、コエンマは祈らずにいられなかった。
 …祈っている。それしかできないから。
 きっと誰もが。


END
1993/12/08 脱稿


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