祈り<2>
砂の惑星が王立研究院の監視体制下に入ったのは、聖地の時間でここ数日のことだ。
ルヴァが守護聖となったとき、彼の星の科学はまだ惑星の内部にとどまっていた。宙港はかろうじて存在していたが、それはこの星系の首都と呼ぶべき星から鉱物の採掘船が来るときのみ使われるもので、普段は砂の底に埋もれているような代物だった。
女王と研究院の許可が無い限り、科学技術の類を未発達の地域にもたらさないのがこの宇宙の鉄則である。成長と進化に伴わぬ科学は、社会を奇形に発展させる恐れがあるからだ。この星も例外ではなく、住人たちは外の世界には宇宙を旅する科学があることを知りながら、その技術をただ与えられることはなかった。ために砂の星から他の星へ足を踏み入れた人間は、有史上ただ一人、現任の地の守護聖だけである。
だが彼の離星から数十年を経て、かの地の技術のみで初の有人宇宙飛行が成功した。亜光速による惑星間飛行も夢ではなくなり、他の星に影響を及ぼす段階に至ると判断され、研究院の監視リストに惑星の名が加えられた。
地のサクリアがつかさどるのは知恵。学術の進歩と密接に関わることとなれば、ルヴァが監視の要員に加わるのは必然である。研究院に詰めるルヴァの表情は楽しげで、日進月歩で技術を進歩させていく故郷の姿を関心をもって見つめていた。もう一人技術の進歩と密接な関係にある鋼の守護聖は、ルヴァが張り付いていてモニターが見えないと、カティスに苦笑してみせたものである。
ことにもルヴァを喜ばせたのは、宇宙技術研究の第一人者として活躍しているのが、今や一人前の学者となった彼の弟だったことだ。
常であれば、守護聖にその家族の消息が知らされることはない。両親が、また兄弟たちが、いかなる人生を歩んだのか、いつ死んだのかすら知るすべもない。外界での年月を数えているうちに、ある日諦めが訪れる。それが普通だ。それは寿命に数倍する任期を勤める彼らへの、いわば気遣いであるのだが、今回ばかりは例外といえた。
「執務に私情を挟むな、ルヴァ」
ジュリアスがそう忠告したのは、彼なりにルヴァを思いやってのことである。弟と言っても既にルヴァの年齢をはるかに追い越しているのだ。もし今二人並んだところを何も知らぬ者が見たなら、親子と思っても―――弟の方を父親と間違えてもおかしくない。
珍しく、同じことをクラヴィスも言った。家族の、ひいては外の時間から取り残されることを、否応なく自覚させられることになるのだからと。そもそもルヴァにこの星の担当をさせること自体が間違いだとクラヴィスは思っていた。
「そうかも知れません。でも私は、もし私が任じられたのではなかったとしても、きっと担当を替わってもらってましたよ」
心配して館に尋ねてきたカティスに、ルヴァは最近身につけ始めた穏やかな表情でそう言った。
「確かにね、弟はもう私より三十以上も年上になってしまってますから―――実のところ、初めに見たときはびっくりしたんですよ。弟だと言われても信じられなくて」
視線は目の前のカティスを通過して宙をさまよう。だがカティスに先を促されて口を開く、その表情に暗い影はない。
「あ、あのですね、別にマイナスの意味で信じられない訳ではなくて…父がね、研究対象を変えたのかと思ったんです」
「え?」
「父が、考古学者をやめて天文学者になったのかと。そっくりなんですよ、父と弟が」
無理の無い笑顔でルヴァはそう言った。語る事実が背負う時間の差をいささかも感じさせずに。
応接間にもあふれる本の山は、現在は工学関係のものが多い。ルヴァは聖地に来て、既に弟が必死に取り組んでいる分野の一通りの知識はマスターしている。
だが弟たちは、ルヴァの手元にある本の中のたった一行を得るために奮闘の毎日だ。試行錯誤と実験の繰り返し、失敗、また試行錯誤。その真摯な姿をいとおしみながら、ルヴァは故郷の星を見守りつづけている。
「それにね、きっと私は、運が良いと思うんです」
カティスの表情から懸念が消えないためか、ルヴァは重ねて自分の思いを言葉に乗せた。
「守護聖ともなれば、家族の消息を知ることは出来ないと思っていましたから…父も母も天寿を全うしたとか、弟が素敵な人と結婚したとか、私に甥や姪ができていることとか、ね。知らずに終わるはずだったのに、知ることができましたから。…嬉しいんです」
「…そうか?」
強いな、とカティスは口の中でつぶやいた。
彼もまた故郷に家族を残してきていたが、その消息を知らない。いかなる人生を送ったか、他の多くの守護聖達と同じく、知る術もない。そしてまた、知ることを恐れてもいた―――どんな人生であろうと、カティスの存在はおそらくそのうちにはないはずだったから。
ルヴァはそのカティスの思いを知ってか知らずか、今日届けられたばかりだという書物を手に取って示してみせる。カティスにはわからない砂の星の文字。表紙を飾る著者名はルヴァの弟のもの。それをいとおしげに撫でるルヴァの様子に、作ったところは見受けられない。
「…大丈夫なんだな?」
自分の言葉の陳腐さに呆れ返りながら、カティスはそう聞いてみた。ルヴァはまた笑う。
「ええ。弟ではなくて、故郷を背負う一学者としての彼を誇りに思います」
その頷きは確固として強い。
カティスはそっと笑った。ルヴァは彼の運命を受け入れ、また覚悟を固めているのだと、どこか寂しいような、ほっとしたような思いが交錯する。
「いずれにしても、あの星に惑星間飛行の技術が培われれば、今回の私の仕事も終わりですから」
そうなれば、今度はしばらく砂の星に関わる事態にはなるまい。
日ごと年齢を深くしていく弟を、ルヴァもまた何のもの思いもなく見ていられるわけではない。だがその最期を直に見ることはないと、砂の星の進歩は告げていた。だからこそルヴァも強いまま、故郷を見つめつづけていられたのだ。
彼の弟が、志半ばに病に倒れるまでは。